後縦靭帯骨化症の闘病記録

突然発症した治療法の無い難病に、少しでも希望を探すために闘病記録を書くことにしました。

私の人生は何

2017年12月29日 07時20分46秒 | 日記
人は、生きることに何かの目的や価値を求めて行くものなのでしょか?
名家に生まれて、生活に自由なく育ち、学歴を身につけ、仕事も成功して自分の夢を実現させ、最期は惜しまれながら死んで行く人。
一方、貧乏な家に生まれて、生きていくのが精一杯の生活で、人にさげすまれ、人を憎んで、人を傷つけて犯罪者となり、孤独のなか病気になり苦しんで死んで行く人。
誰でも前者の生き方を望みますよね。生まれてきた時は何一つない状態で、死ぬ時は何一つ持って行けるものなどないのは、どちらも同じです。生きていた時の喜びや満足感、地位や名誉、お金、など死んだらすべてなくなります。逆に生きてい時の苦しみ、劣等感、蔑み、痛み、恐怖なども死んだらなくなります。楽になれます。
人は、生きている時だけ、幸せとか不幸とか、生きる喜びとか生きている意義とか夢とかを一生懸命に考え生きていますが、それは平等ではありません。死んだら誰でも灰になり自然に帰って、生きていた記憶など跡形もなくなり平等になります。
人の一生など、地球の歴史に比べたら、10年でも100年でも一瞬です。
死んだ後は、残った人たちが、勝手に讃えたり、非難したりするだけです。どんなに悲しんでも、憎んでも死んだ人には何も届きません。歴史など今生きている人たちが勝手に作っているだけで、歴史に名前が残ったと言ったところで死んだ人には関係ありません。

だから、もし今私が死んでも悲しまないでください。憎まないでください。
もし、今あなたが死んだら私は勝手に悲しむかもしれません。勝手に憎むかもしれません。でも時間が癒してくれるでしょう。それに、すぐに私も死ぬのだから。

だけど、人はどんなに辛くてもなかなか死ねません。先に希望が見えないのに希望を探してもがきながら生きて行きます。やっぱり、死ぬことは怖いです。

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