後縦靭帯骨化症の闘病記録

突然発症した治療法の無い難病に、少しでも希望を探すために闘病記録を書くことにしました。

気持ちの問題

2018年05月09日 23時26分57秒 | 日記
治ると思わないこと

頚椎の骨化症が判明したときは、手術してリハビリをすれば回復していけると言われ希望を持っていました。
胸椎の骨化症が見つかったときは、手術しなければ悪化して行くだけだと言われ不安になりました。
頚椎の手術をしてから2年が経ち、今は良くなるという考えではなく、これ以上悪くならないように考えて努力するように言われるようになりました。
それは、もう良くなることは考えてはいけない、今の身体の不具合、痛みと痺れと麻痺にどう耐えながらどう生きていくか覚悟を決めて生きていけと言うことです。

今、死ぬほど痛いか、死ぬほど辛いかと言われれば、まだ生きていけます。
この後、死んだ方がいいと思うほど痛く辛くなるときが来ても、まだ死にたくないと言うと思います。

2年前、京都府立医大に入院しているときに、血液が突然癌化していく20歳半ばの青年に病院で会いました。
その子はサッカーが大好きて、真夜中のサッカー中継を子供みたいに大声で応援していました。同室のお年寄りには迷惑だったかも知れませんでした。家族の仲が良く両親、姉、おばぁちゃんが毎週欠かさずにお見舞いに来ていました。
でも、その子は何クールかに一度抗ガン剤の治療を受けました、食事が取れなくなり、抗ガン剤の痛み、吐き気、抜け毛、むくみ、精神不安などに押しつぶされになりながらも、家族、医師、看護師に励まされ頑張っていました。それでも悲壮感はありませんせんでした。やれるこをやったからかもしれません。
だけど、今はもういませんでした。

先日、病院を受診したときに整形の先生に身体の不具合と不安を相談したら、精神科を受診するように言われました。



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