レコードショップで 『J・BOY』 のアルバムを思わず手にしたあの日のことは
必然が起こした偶然と言ったらいいのでしょうか。
それほど、私にはあり得ない出来事として記憶されています。
それは、ジャケットの浜田省吾さんの写真が “ ある人 ” に良く似ていたからでした。
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しかし、それだけで購入を決めたわけではなく私の記憶を思い起こさせる曲のタイトル
『19のままさ』、『遠くへ』、『路地裏の少年』 を目にしたことが決め手だったように思います。
一度も観ることも聴くこともなく
アルバムを購入しファンになったのは後にも先にも浜田省吾さんただ一人です。
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*浜田省吾 1952年12月29日 広島県竹原市出身
『J・BOY』 がソロデビュー10年目にして、5週連続オリコン・シングルチャート1位を記録。
1992年には 『悲しみは雪のように』 ( 『愛という名のもとに』 主題歌) が
8週連続シングルチャート1位を獲得し、170万枚のセールスを記録する。
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父親の被爆体験から、日本や戦争を扱った楽曲が多く
いわゆる、ビッグネームの中では、最もプロテスト色の強いアーティストである。
「"Rock" = "English"」 という既成概念に疑問を持ち、日本語による歌詞や歌唱にこだわり
以降のミュージシャンに大きな影響を与えた。
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情報によると、ハウンド・ドッグの大友康平さんはアマチュア時代、
ラジオで 『路地裏の少年』 を聴いて衝撃を受け 「直ぐさま、レコード・ショップまで走った」
と言い 「プロになる決意をした曲だった」 と語っているそうです。
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