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┃YouTube北原ミレイ『ざんげの値打ちもない』と阿久悠/『石狩挽歌』となかにし礼

2011-07-26 00:00:00 | ┃邦楽┃女性






*北原 ミレイ   1949年7月18日   愛知県豊川市出身

 作詞家の阿久悠に見出され、『ざんげの値打ちもない』 でデビュー

*『ざんげの値打ちもない』  1970年10月  [作詞/阿久悠   作曲/村井邦彦]


  


*阿久 悠   兵庫県出身   1937年2月7日~2007年8月1日

放送作家 ・ 詩人 ・ 作詞家 ・ 小説家   明治大学文学部卒

第2回 『横溝正史ミステリー大賞』 受賞 & 第45回 『菊池寛賞』 受賞など


   


『もしもピアノが弾けたなら』 や 『五番街のマリー』、『津軽海峡・冬景色』 や 『舟唄』

そしてピンレディーの曲の数々が亡くなられて初めて阿久 悠さんの作詞であることを知りました。

ペンネームの [阿久 悠] は <悪友> をもじったものだとか。

阿久 悠さんらしい発想の上手さは歌詞の随所に表れていて

ここには書ききれないくらい巧みで味のあるフレーズが満載でした。











*なかにし 礼  1938年9月2日   満州生まれ 

立教大学文学部仏文科卒   小説家 ・ 作詞家

2000年の 『長崎ぶらぶら節』 で第122回 『直木賞』 を受賞する。

*『石狩挽歌』   [作詞/なかにし礼   作曲/浜圭介]

1975年  日本作詞大賞 「作品賞」 受賞





*『兄弟』 (新潮文庫)  第119回 (1998年)  直木賞候補作品

特攻隊の生き残りで、戦後ニシン漁に投資した実兄の膨大な借金を肩代わりし、

その返済に苦しむ壮絶な人生体験を書いた自伝的小説。

記憶は遠いのですが、ビートたけしさんが実兄役でTVドラマ化もされました。

佐藤愛子の小説のタイトル 『血脈』 を思い起こさせるストーリーで

その壮絶さは例えようもなく、引き込まれるように読み終えた小説でした。


   


この小説を紹介した前回は

なかにし礼さんの曲として弘田三枝子さんの 『人形の家』 をupしたのですが

今回、『石狩挽歌』 が 『兄弟』 を書かいたご自身の体験から生まれたものだと分かり

非常に驚きました。

前回、お友達がくれた 「『石狩挽歌』 が好き!」 というコメントがなければ

また違う曲を探していたかもしれません。


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┃YouTube『そよ風の誘惑』オリビア・ニュートン・ジョン/『悲しみは続かない』椎名恵

2011-07-19 00:00:00 | ┃洋楽┃女性



動画作品の画質がよくありませんが “それを補って余りあるオリビアの愛らしさ” だとか。

気にかかる音もありますが、初めて観る、聴く、オリビア・ニュートン・ジョン故、

この作品に拘りました。

パフォーマンスは “1976年の3度目の来日の時のもの” とのことですので尚更です。





*オリビア・ニュートン・ジョン  1948年9月26日  イギリス出身

オーストラリアで育ち、1975年、アメリカに移住し70年代から80年代半ばにかけ

数多くのヒット曲を放ち、世界的な人気を博した。








『そよ風の誘惑』 (1975年) を 「どこかで聴いたことがある」 と感じてから

椎名さんがシャーリーンの曲をカヴァーした 『LOVE IS ALL~愛を聴かせて』 (1986年)

だとばかり思い込み (もう一つのカヴァー曲があったことをスッカリ忘れ)

『愛は眠らない』 と分かるまで随分と時間を費やしてしまいました。

その後、『愛は眠らない』 の作品の規約違反が続きこの曲での投稿を諦め、

曲目を 『悲しみは続かない』 に変更致しました。


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┃YouTube『Nowhere Man』/『Across The Universe』ビートルズ

2011-07-12 00:00:00 | ┃ビートルズ・ビージーズ・イーグルス



*『Nowhere Man』

この曲は、ジョンがパラノイア状態だった頃

「極度の恐怖感や、他人への不信感を抱く精神障害に陥っていた頃」 の自分について書いた作品 。

ヴォーカルはジョンの多重録音による三重奏、中央部分は、ジョンとポールのコーラス

エンディングの高音部分は、ポールが担当。





この曲が収録されているアルバム 『ラバー・ソウル』 は

北アメリカツアーのショービジネス界で最高の成功を収めながらも

混乱に終始するステージと、殆ど自由を許されないツアーに拒否反応を示し始めていた頃

(1965年10月12日~11月初旬) にレコーディングされた。








*『Across The Universe』

1970年のジョンの作品で、ヴォーカルも担当。

しかし、ジョンが望んだシングルカットがされなかったため

ジョンはこの作品を 『世界野生動物保護基金救済』 のチャリティー・アルバムに寄贈してしまう。





この曲が収録されているアルバム 『Let It Be』 が制作された1968年は

4人の意志の違いがハッキリ現れ始めた頃であり

ジョンとヨ―コのソロ活動を筆頭に、各々独自の分野で活動をするようになる。

1969年、ジョンはヨーコとポールはリンダ・イーストマンと正式に結婚。

私生活でも、各々最愛の伴侶との私生活を最も重要視するようになり

この事が大きな要因になり

オリジナルアルバム 『Let It Be』 はビートルズのラスト・アルバムになった。


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