つれづれなるままに落書き

オタクの毎日は実に刺激的で彩りゆたかなのであります。せっかくなので、おもしろかったこととか記録しとこうかな…とか。

リスボン行ってきた!

2019-05-25 11:12:55 | 旅行

 

ローマからリスボンへ!\(^o^)/

リスボンといえば消臭力の街です\(^o^)/←えっ。

地震が多くてふるい建築物はあまり残ってないと聞いていたけれど、第二次大戦に参加していないため空襲の被害がなく、あたらしいといっても江戸時代くらい前の街並み。日本よりよっぽど古いです( ̄▽ ̄;)

そんな中でもとくに古そうなやつ厳選で見てきました!

リスボンは丘の街。どこへ行くにも急坂が( ̄▽ ̄;)

トラムに乗って高いところまで一気にあがります。旧市街には中世の大聖堂やイスラム統治時代のお城なんかもあって、建築マニアの妹垂涎。

この見晴らしよ!\(^o^)/

消臭力〜♬て言いたくなるけど、それは隣の丘でした、、、ざんねん。

ベレン地区。

リスボンで唯一地震の被害を受けてないとこで、古いものが残ってます!

ベレンの塔は軍事要塞。1番水に近いとこ、水牢だって( ;´Д`)満潮になると完全に水没して、じわじわと死刑執行( ;´Д`)イヤすぎる、、、、

発見のモニュメント!この中にザビエル先生が、、、、、

いました\(^o^)/かっこいい\(^o^)/

フロイスは、いない(笑)リスボン出身なのに。反対側に、フランチェスコ会とドミニコ会がひとりづつおりました。各会派から1名づつってことなのか。

 

ジェロニモス修道院。1番古い部分は1500年代のもので、天正少年使節も訪れた場所(*´∇`*)アガる。

この回廊は、修道士たちが歩きながら聖書を読んだり瞑想したりしたのだそうです。いちいちアガる。

聖ジェロニモスという方は、聖書をはじめてヘブライ語から訳した人なんだそうで、ナゼかとげ抜きにご利益があるらしい。日頃しょっちゅうトゲを刺して困っている「トゲ運」の悪すぎる自分、聖ジェロニモスの像とかせめておメダイとか欲しかったけど、、、、なかった(−_−;)ナゼ、、、、

夜はここ、ジェロニモス修道院でグロリアの子供達が歌いました!アッシジに続き、世界遺産で!

ところでところで、ポルトガルの守護聖人は聖アントニオです。

なんだかいたるところでアントニオに出会います。

これ、ポルトガル名物アズレージョタイル。

こういうのがね、教会だけでなく、街のあちこちにある∑(゚Д゚)家の壁とか塀とか∑(゚Д゚)

アントニオはフランチェスコ会の修道士。フランチェスコと同時代の人です。

お説教がとてもうまい人で、人間ばかりか魚まで寄ってきたという笑える伝説が。「小鳥に説教するフランチェスコ」と対になってるようでなんですが、魚ってとこがポルトガルらしいっていうか(笑)しかもこの魚ボラだよねどう見ても(笑)うちの前の川にいつもボラの群れがいるものだから笑えて笑えて、、、、ボラに説教するアントニオ(笑)

この方リスボンの貴族の出で、アフリカでの宣教を志してフランチェスコ会に入ったのだけれど、途中で病を得て無念のうちに36歳の若さでなくなったそうです。お説教がうまかったのだから民衆からキャーキャー言われてたはずなのになんて勿体無い!!

それが今ではナゼか縁結びの神様になっていて、6月13日のアントニオのお祭りでは恋愛成就を願う男女が大盛り上がりでヤバいらしい。しかもこの日に婚姻届出すとリスボン市からお祝い出るらしい。

言っとくけどアントニオ修道士だよ?(笑)恋愛成就どころか(以下自粛)

ジェロニモス買えなかったので、すっかり好きになったアントニオを連れて帰りました\(^o^)/

さあ、うちの前の川のボラにお説教をするのだアントニオ!\(^o^)/あと失せ物も見つけてくれるらしいってね。よろしく頼む!

 

左がリスボンで購入したアントニオ。20€。ホテルのお土産屋のおばちゃんに「えっ、マジで買うの?!」て顔された、、、、、帰ってきてよく見たら岡田将生に似てる(*´∀`*)

右はアッシジから連れてきたフランチェスコ。もうちょっと安かった気がする。よく見たら若い頃の藤竜也に似てる。

そういえばフランチェスコ会の神父様が言ってたんだけれど、一時期フランチェスコ会ではフランチェスコよりアントニオのほうが人気があったっぽくて、すごく古くから歌われてるアントニオのうたがあって、ラテン語なんだけれど、「アントニオにお願いすると〜なくしたものも見つかるよ〜」とかいうしょうもない歌詞なんだと( ;´Д`)それをみんな真顔で歌ってんだと( ;´Д`)

というわけで、愛されキャラのアントニオのお話でした。

 

 


縄文のビーナスに会ってきた( ´ ▽ ` )ノ…尖石縄文考古館

2015-10-26 18:38:23 | 旅行

 

きのう、ついに縄文のビーナスに会ってきました!( ´ ▽ ` )ノ

長野県茅野市、尖石縄文考古館。
朝5時半に横浜発、9時半に着いてまずは近所の「縄文の湯」で朝風呂!
ぬめっと濃いかんじのお湯でなんとなくお肌がツルツルになったようなならないような!

なんと400円で温泉がたのしめます。おすすめすぎる。

そしてガラガラの考古館(⌒-⌒; )、ビーナスを独り占めで、ガラスに張り付いて舐め回すように見ることができました!
キレイだった!


実物を見ると、その美しさと完成度の高さに圧倒されます。
自分でも1度作ってみたことがるだけに、いっそう計算し尽くされた造形美と妥協のない仕上がりに感動。
これはよっぽどの作り手の仕事だなぁと。
大杉蓮か國村隼みたいなガンコ系のオッさんが黙々と仕事に没頭する姿を妄想しました(笑)
こりゃ国の宝だよ!!(^o^)

土器の展示もとても見やすくてすばらしかったです。

体験コーナーでは縄文人になれて、息子大興奮(≧∇≦)


ついでに紅葉もちょっと見に行って、地ビールと信州ワインの新酒、そして縄文人らしく鹿肉もゲットして帰りましたよ( ´ ▽ ` )ノ

次は新潟に帰ったときに火炎土器を見たいなぁ。


右近どのに会ってきた(笑)・・・・高岡・金沢オタク旅

2015-07-29 17:35:09 | 旅行

新幹線が開通したので!!
20年ぶりくらいで金沢にいってきました!!


あの頃……前田一家にどっぷりはまって夜行バスで金沢へ通っていた頃は「いいヤツすぎて話にならん…」と完全スルーだった右近どのの面影を追い求めて、じつにしょーもない旅でした(笑)

1日目は途中下車して高岡へ。
前田利長の高岡城は、右近どのが縄張りから仕切ったといわれています。
そして、たった5年で廃城になったこととその後誰の住まいにもならなかったこと、さらに高岡がド田舎だったという幸運(すいません褒めてます…)から、当時の姿のまま残された奇跡の城であります。
小雨のちらつく城址を隅から隅まで歩きまわり、はりつくように石垣を撫でまわし、同行の妹にじつにもうしわけないかんじではありました(^o^)
大手門跡にたたずむ右近どのは、高槻城址でお目にかかったのと同じ像だったみたいです。なにか重たいものを背負ってるような表情でした。

高岡住まいの友人の車で倶利伽羅峠を越えて金沢へ。
伴天連追放令後、右近どのが26年過ごした金沢です。
20年ぶりですが、10回目の金沢。10回目だけれど、新しい気持ちで訪れる金沢でした。
今までの10回なにしてたんだ自分…とおもわなくもなかった(笑)

なにはともあれ、右近どのの面影をもとめて放浪です。
徳川時代に痕跡が消されてしまってるため、なんにものこってません。
ここにあったらしい!とか、この空気を吸っていたにちがいない!!とか、そんな妄想レベルの散策に付き合わされた妹、ほんとふびんです(笑)
姉妹でよかった(笑)
そんな中でも、右近どの得意の土木工事のあとはすこし見ることができます。
石とか石とか側溝とか側溝とかそんなのばかりですが、はいつくばるようにして覗き込んできました(^o^)

20年前は大学の敷地内でうかうかと覗くことができなかった金沢城、きれいに整備されてました!!
金沢城のデザインは、右近どのが京都でプロデュースした南蛮寺とすこしかぶるところがあって、気のせいだとしてもちょっと心が震えます。


お城は運良く高山右近資料館の館長さんに案内していただくことができました。
右近どのが積んだであろう石組み、利長の依頼で大修復した跡…
お城のいちばんたかいところから、「あのへんに右近どのの屋敷、あのへんに南蛮寺があったんですよー。右近はあのへんから徳川が攻めてくるのを想定してこの石垣を積んだんですよー。」なんて、じつに妄想豊かな解説をしていただき感無量!!
なんだかもう現実に戻るのがめんどくさくなるくらい(笑)濃い時間でした(^o^)

カトリック金沢教会の右近どのは、金沢で活躍したころの「めんどくさいおっさん」的な雰囲気で。こちらもリアル。

…にしても、20年前、学生のころは完全スルーだった右近どのの人生がナゼ今になってヒシヒシと心に訴えかけてくるのかと思えば、やっぱ自分トシとったってことなんですかね…

以上、報告でした!!(^o^)