つれづれなるままに落書き

オタクの毎日は実に刺激的で彩りゆたかなのであります。せっかくなので、おもしろかったこととか記録しとこうかな…とか。

司教さまへの手紙(備忘録) 「伝えるということ」

2013-05-22 09:51:48 | 教会
「伝えるということ」

正直なところ、まだ「信仰が堅い」と言える状態ではないような気がします。

先日息子が、神父さまのお話しに感銘を受け、
「クラスの子に福音を述べ伝えたい!!」と言い出したときには、
「いやいやいやいや!!いじめられるからやめなよ!!!」
と言ってしまいました。
それが現在の私の、偽らざる本音です。

残念ながら、今の日本では「福音を恥としない!!」ということは
なかなか難しい。
ほぼいじめられるだろうとわかっていて、息子を宣教に出すことは(大げさですが!!)
今の私には困難です。

それでも、あの逃げ腰だった使徒たちが生まれ変わって宣教に出て行ったように、
私にも「聖霊のお働き」があるでしょうか。
神様とのやりとりを自分一人の中で完結させて満足することなく、
誰かに伝えたい思いがあふれだすようになるでしょうか。

それを信じて、堅信式にのぞみたいと思います。

             2013・5・26 提出の宿題。
                       司教サマにお届けする手紙です。
                       こんなの、めっちゃ怒られそう(笑)

「聖霊のはたらき・その2」・・・・2013・5・19 神父サマのおはなし

2013-05-22 09:19:27 | 教会
5月19日は聖霊降臨の主日です。

神父サマのいうことには、教会の誕生日なんだそうです。

聖霊がくだり、弟子たちが一斉に目覚めて福音を伝える者になった日です。

7月に、うちの教会で「堅信式」というものがあります。
洗礼式で「神様の子供」になった人たちが、
「父(神様)」の仕事を手伝えるようになるために、聖霊のたまものをいただくらしいです。
「父の仕事」っていうのは福音を伝えることなので、
ようするに「宣教に出て行け!!」ということなんですかね?

いやいやいやいや・・・・・・・
宣教っていわれても・・・・・・・(^^;)

わたしまだ堅信受けてないので、7月に受けるんですけど・・・・・
受けたら宣教に出て行かなきゃいけないんでしょうか(笑)

宣教にでていくとは、どういうことなんでしょうか。

・・・・・と、ここからが神父サマのお話しですが、

信仰をどのように伝えていくか。
聖霊のたまものをどんな形で受け取るか。
これは人によって違っていい。

たとえば、ヨハネにとっての聖霊は、「導き、示し、教え、慰める」存在です。
パウロにとっての聖霊は、「キリスト者としての生活を営むようにさせ、宣教のための賜物を与える」存在です。
                 (・・・パウロ厳しいな(笑))
ルカにとっての聖霊は、「教会を、そうでもしないと行わないような活動に従事させる」存在です。
                 (・・・どんな活動だよって話(笑))

あなたにとっての聖霊はどんな存在ですか?
ヒントは守護聖人です。
聖人は、それぞれその人生において、福音を証してきた人たちです。
自分の守護聖人は、どのようにして福音を証し伝えていったのですか?
それを考えてみること!
そのようになるよう、精霊に祈ること!

(^o^;)・・・・・・・・・。

うわあああああああああ(ToT)げんたろうの守護聖人、パウロだぁぁぁぁぁぁぁぁ(ToT)

たいへぇぇぇぇぇぇぇん(ToT)




祈る姿勢……マリアさまのはなし

2013-05-15 13:16:08 | 教会
きょうのエンゼル会は、マリアさまのおはなしでした(^o^)
5月がマリア月だからということで、いつものプログラムからちょいと脱線です。

「みなさん、マリアさまというとどんなイメージですか?
 カトリックの女子高とか通ってた人なんかは、
 マリアさまは上品で清楚でゆりの花にかこまれてて…なんて思い込んでる人がほとんどなんですけどね、
 今日はそういうんじゃないマリアさまの話しますからねッ。」

…と、いきなり辛口ではじまった神父サマのお話。(^^;)
聖書の中でマリアさまが登場する場面の中からいくつか読んでいきます。

●シメオンの予言(宣告?)……ルカ2-34
  「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするたけにと定められ、
   また、反対を受けるしるしとして定められています。
   あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。
   多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

●エジプトに避難……マタイ2-13
  「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
   ヘロデがこの子を探し出して殺そうとしている。」

●十字架につけられる……ヨハネ19-26
  「イエスは、その母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、
   「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われた。
   それから弟子に言われた。
   「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」

●聖書の中で最後に登場する場面……使徒言行録1-14
  「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」

マリアさまは、子供がうまれてすぐ、喜びのうちにあるそのとき、見知らぬ老人から
「子供はたいへんな最期を遂げるし、自分も険で刺し貫かれるような思いをする」と宣告されます。

その予言はまったくそのとおりで、息子は生まれた直後から「全国指名手配者」となり、
息子一人のためにベツレヘム周辺で産まれた男子は皆殺しにされ、
(ベツレヘムの親たちはよっぽどマリア親子を呪ったことでしょう!!)
自分の国には居場所がなく「難民」となって身一つで出国し、
成人した息子は「政治犯」「死刑囚」として国民の非難を一身に受け十字架につけられ……

そんな人生だったのです。
ただ聖書を茫洋と読んでいるだけではいまいちピンときませんが、
こうしてマリアさまの書かれた部分だけ抜き出してみると、なんという人生か!!
過酷な運命を粛々と受け入れ、最後まで信じて祈る姿にあらためて心をうたれます。

自分の子供がどうやら人とは違うらしい。
もしかするとほんとうに神の子なのかもしれない。
ときに疑心暗鬼に陥ることもあったかもしれない。
   ……や、フツーの人間ならそうなるでしょう?!
   うちの子ちょっと人と違うんじゃないかしら…と。

それでも、神様のなさることだからきっとだいじょうぶ…と信じて粛々と生活してきた姿。
「なんでワタシがこんな目に?!」と思うことはなかっただろうか?
なかったとはいいきれなかったと思うんですよ。
   ……や、きっと、あった。

でも、信じて祈った。

まさにそこが、マリアさまがここまで崇敬されるゆえんだということです。

はぁ……デカイわ……

自分の洗礼名を決めるときに、
「マリアだけはぜったいない!無理だから!一生がんばっても足元にもおよばないから!」
と思ったものでしたが、
(まわりの人、けっこう「マリア○○○……」ってつけてる人おおいんですよ。)
きょうのお話聞いて、あ~この選択はまちがってなかったと改めておもいました(笑)

祈る姿勢。がんばります。できることからコツコツと。

 

身が引き締まる思いです。

2013-05-13 19:40:06 | 日記
友達から
「母が使ってた布たくさんあるんだけれど、
いくちゃん使ってもらえないかな?」
とGW前に連絡がきて、
「おお~サンキューサンキュー♪
じゃんじゃん送ってよ~(^o^)/」
とか気軽に返事したんだけれど……

きのう送ってきてくれたものをみて……


あまりにも気軽に返事をしてしまったことをちょいと反省しました……

それは、ものすごく丁寧に整理されてものすごく丁寧に管理されていたものでした。
お母様が一枚一枚集めて、タイセツに使っておられたのがつたわりまくりでした。
これだけ集めるのには相当時間がかかったと思う。
たぶんお母様の半生分くらいは軽いだろう。

あたしも大事に使わないといけないなぁと……

そうとう身が引き締まる思いですが……

なにか人のやくにたつことに使いたいな……
キリスト者のはしくれとして(笑)
なにか作って秋のバザーにだそうかなぁ……

とかね……

たまにはまじめになってみた。


「聖霊のはたらき」・・・・2013・5・5 神父サマのおはなし

2013-05-08 15:13:44 | 教会
ヨハネ14章です。

『わたしは平和をあなたがたに残し、
 わたしの平和をあたえる。』

っていう、毎回おミサの中で唱えられてるところです。

『わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない』
まえに ここのところを、神父サマに
「まっっっ・・・・たくわかんないんですけどー!!」と聞いたことがあります(笑)

世が与える平和→政治的な支配のもとでの平和。→災害や戦争でいつ消滅するかわからないあやうい平和。
イエスさまが与える平和→どんな外的障害にも揺るがない、普遍の平和。終わりのない平和。
      俗世間でいう形の上での平和ではなく、もっと壮大な、罪から解き放たれて神と結ばれる精神世界の平和。
そんなかんじのことをいわれたようなきがします。
むずかしすぎて、何のことやらほとんど理解できず(^^;)
実にざんねんですね!!神父サマすいません!!

弟子たちも、そんなワタシとほぼ同じ状態だったんではないでしょうか!!
実にざんねんですね!!はははは!!

ですが、とりあえず今はわかんなくても、
『父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、
 わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。』
と、イエスさまはこういうのです。

この『思い起こさせてくださる』っていうのがですね、
「あー、イエスさまあんなこと言ってたな・・・・」って思い出すとかいうことではなくてですね、
イエスさまの言ったことの意味に気付かせてくれるってことなんだそうですね。
イエスさまの言葉や行動の意味を解き明かし、信仰を沸き立たせてくれるという。
そういう状態が、いわゆる「聖霊きた!!」なんですね。
あんなにダメダメちゃんだった弟子たちが、聖霊降臨を境にひるむことなく宣教にでていくようになるのが
まさにそれなんですね。

すごいなぁ聖霊のはたらき。

聖霊はわれわれを神様のモノにつくりかえてくださると神父さまはおっしゃいました。
ワタシにはいまいちまだ「聖霊きた」という状態がよくわかりません(^^;)
うちの小学生がよく「聖霊きてる!」とか「クラスの子に福音をのべつたえたい!」とか言ってるんだけれど、
そんなときワタシときたら「や、いじめられるからやめなよ・・・・」とか言ってしまいます(^o^;)
ダメダメですね・・・・

こんなワタシのところにも、いつか聖霊きてください(笑)