きょうは、ワタシがひそかに「師匠」とお慕いしている方に
マンツーマンでお勉強につきあっていただきました(^o^)
もうじき堅信式なので・・・・
すこしは信仰堅めとこうかなと・・・・(笑)
わたしたちの「お勉強」は、いつもこれといってテーマがあるようでないようで(^^;)
話の流れのおもむくままに繰り広げられます。
わたしの師匠は、
「聖書は自分でいくらでも勉強できるし、福音書についてはうちの神父さまの話を毎週聞いてればそれで充分すぎるくらい。(まったくその通りです!!)
わたしがあなたに伝えたいのは、言葉にならない「気持ち」の部分。
とりとめのない話の中からあなたがどれだけ感じ取ってくれるか、それにかかっている」
という、実に高尚すぎるスタイルを取っておられます(^^;)
「相手によってやり方を変えている。あなたには通じると思ってこうしている」と言ってくださってるので、
ワタシも精一杯ご期待にこたえなくてはなりません・・・・・。
今日は、ワタシが以前何かの本でちょっとひっかかった「枢要徳」についての疑問をぶつけてみました。
カトリック要理に出てくるいくつかの「徳」の中で、ちょいと理解しにくかったものです。
「枢要」なんて、ふつうに暮らしてたら一生使うことのない言葉ですから!!
カトリックの教義の中には、まず基本となる三つの徳があります。
信仰・希望・愛 ってやつです。
これは、ごくごく自然に沸き出てくる想いのようなものなので、比較的理解も実行もしやすいです。
まずはこの3つを自分の中でしっかりと確立することがとてもタイセツです。
その次に来るものが、「枢要徳」なのだそうです。
自然には沸き出てきにくい、どちらかというと倫理的な徳になります。
賢明・正義・節制・忍耐・謙遜などなど・・・・・
はあぁぁぁぁぁ・・・・・
字ヅラをながめているだけでも覚悟がいりそうなかんじですよね /(^o^)
そう、最初の三つにくらべて、格段に覚悟が問われる「徳」なのです!!!
「信仰・希望・愛」の実践を身に着けた者が、更なる高みをめざして歩む道のようなものなのかな・・・・
ワタシはそう理解しました。
いやぁぁぁぁぁ、ワタシにはほど遠い世界です。
「徳」と「謙遜」について、ワタシの師匠がおもうところを語ってくださいました。
「徳をたかめること」、「謙遜すること」これは両立するのはむずかしい。
徳を積まなければと思って一生懸命教会や人々のために尽くそうとすると、
人から「あの人はでしゃばりすぎるわよね。やりたがりよね。自分ができることを見せつけたいのよね。」とか言われる。
それに懲りて、「いやいや、わたしなんて何もできませんから・・・」と謙遜してると、
今度は「あの人はできないふりしていつも仕事から逃げてる!!」って言われる。
どっちがツライ?どっちもツライわよね。
人の評価を気にせず、そういうことをすべて受け止めて忍耐で尽くすのが枢要徳なのかなと思うのよ・・・・。
はぁぁぁぁぁ。。。。。。スバラシイです(^o^)
ワタシもそう思います!!(無理ですけど!!)
謙遜はほんとにむずかしいですよね。
人が心から褒めてくれてるとき、それを否定しまくるのもイヤなかんじ。
ときには素直にうぬぼれて喜んだほうがいいときもある。
空気読める人間になりたいなぁ。
今日もとっても実のある時間を過ごさせていただきました♪感謝感謝です♪
マンツーマンでお勉強につきあっていただきました(^o^)
もうじき堅信式なので・・・・
すこしは信仰堅めとこうかなと・・・・(笑)
わたしたちの「お勉強」は、いつもこれといってテーマがあるようでないようで(^^;)
話の流れのおもむくままに繰り広げられます。
わたしの師匠は、
「聖書は自分でいくらでも勉強できるし、福音書についてはうちの神父さまの話を毎週聞いてればそれで充分すぎるくらい。(まったくその通りです!!)
わたしがあなたに伝えたいのは、言葉にならない「気持ち」の部分。
とりとめのない話の中からあなたがどれだけ感じ取ってくれるか、それにかかっている」
という、実に高尚すぎるスタイルを取っておられます(^^;)
「相手によってやり方を変えている。あなたには通じると思ってこうしている」と言ってくださってるので、
ワタシも精一杯ご期待にこたえなくてはなりません・・・・・。
今日は、ワタシが以前何かの本でちょっとひっかかった「枢要徳」についての疑問をぶつけてみました。
カトリック要理に出てくるいくつかの「徳」の中で、ちょいと理解しにくかったものです。
「枢要」なんて、ふつうに暮らしてたら一生使うことのない言葉ですから!!
カトリックの教義の中には、まず基本となる三つの徳があります。
信仰・希望・愛 ってやつです。
これは、ごくごく自然に沸き出てくる想いのようなものなので、比較的理解も実行もしやすいです。
まずはこの3つを自分の中でしっかりと確立することがとてもタイセツです。
その次に来るものが、「枢要徳」なのだそうです。
自然には沸き出てきにくい、どちらかというと倫理的な徳になります。
賢明・正義・節制・忍耐・謙遜などなど・・・・・
はあぁぁぁぁぁ・・・・・
字ヅラをながめているだけでも覚悟がいりそうなかんじですよね /(^o^)
そう、最初の三つにくらべて、格段に覚悟が問われる「徳」なのです!!!
「信仰・希望・愛」の実践を身に着けた者が、更なる高みをめざして歩む道のようなものなのかな・・・・
ワタシはそう理解しました。
いやぁぁぁぁぁ、ワタシにはほど遠い世界です。
「徳」と「謙遜」について、ワタシの師匠がおもうところを語ってくださいました。
「徳をたかめること」、「謙遜すること」これは両立するのはむずかしい。
徳を積まなければと思って一生懸命教会や人々のために尽くそうとすると、
人から「あの人はでしゃばりすぎるわよね。やりたがりよね。自分ができることを見せつけたいのよね。」とか言われる。
それに懲りて、「いやいや、わたしなんて何もできませんから・・・」と謙遜してると、
今度は「あの人はできないふりしていつも仕事から逃げてる!!」って言われる。
どっちがツライ?どっちもツライわよね。
人の評価を気にせず、そういうことをすべて受け止めて忍耐で尽くすのが枢要徳なのかなと思うのよ・・・・。
はぁぁぁぁぁ。。。。。。スバラシイです(^o^)
ワタシもそう思います!!(無理ですけど!!)
謙遜はほんとにむずかしいですよね。
人が心から褒めてくれてるとき、それを否定しまくるのもイヤなかんじ。
ときには素直にうぬぼれて喜んだほうがいいときもある。
空気読める人間になりたいなぁ。
今日もとっても実のある時間を過ごさせていただきました♪感謝感謝です♪