新幹線が開通したので!!
20年ぶりくらいで金沢にいってきました!!
あの頃……前田一家にどっぷりはまって夜行バスで金沢へ通っていた頃は「いいヤツすぎて話にならん…」と完全スルーだった右近どのの面影を追い求めて、じつにしょーもない旅でした(笑)
1日目は途中下車して高岡へ。
前田利長の高岡城は、右近どのが縄張りから仕切ったといわれています。
そして、たった5年で廃城になったこととその後誰の住まいにもならなかったこと、さらに高岡がド田舎だったという幸運(すいません褒めてます…)から、当時の姿のまま残された奇跡の城であります。
小雨のちらつく城址を隅から隅まで歩きまわり、はりつくように石垣を撫でまわし、同行の妹にじつにもうしわけないかんじではありました(^o^)
大手門跡にたたずむ右近どのは、高槻城址でお目にかかったのと同じ像だったみたいです。なにか重たいものを背負ってるような表情でした。
高岡住まいの友人の車で倶利伽羅峠を越えて金沢へ。
伴天連追放令後、右近どのが26年過ごした金沢です。
20年ぶりですが、10回目の金沢。10回目だけれど、新しい気持ちで訪れる金沢でした。
今までの10回なにしてたんだ自分…とおもわなくもなかった(笑)
なにはともあれ、右近どのの面影をもとめて放浪です。
徳川時代に痕跡が消されてしまってるため、なんにものこってません。
ここにあったらしい!とか、この空気を吸っていたにちがいない!!とか、そんな妄想レベルの散策に付き合わされた妹、ほんとふびんです(笑)
姉妹でよかった(笑)
そんな中でも、右近どの得意の土木工事のあとはすこし見ることができます。
石とか石とか側溝とか側溝とかそんなのばかりですが、はいつくばるようにして覗き込んできました(^o^)
20年前は大学の敷地内でうかうかと覗くことができなかった金沢城、きれいに整備されてました!!
金沢城のデザインは、右近どのが京都でプロデュースした南蛮寺とすこしかぶるところがあって、気のせいだとしてもちょっと心が震えます。
お城は運良く高山右近資料館の館長さんに案内していただくことができました。
右近どのが積んだであろう石組み、利長の依頼で大修復した跡…
お城のいちばんたかいところから、「あのへんに右近どのの屋敷、あのへんに南蛮寺があったんですよー。右近はあのへんから徳川が攻めてくるのを想定してこの石垣を積んだんですよー。」なんて、じつに妄想豊かな解説をしていただき感無量!!
なんだかもう現実に戻るのがめんどくさくなるくらい(笑)濃い時間でした(^o^)
カトリック金沢教会の右近どのは、金沢で活躍したころの「めんどくさいおっさん」的な雰囲気で。こちらもリアル。
…にしても、20年前、学生のころは完全スルーだった右近どのの人生がナゼ今になってヒシヒシと心に訴えかけてくるのかと思えば、やっぱ自分トシとったってことなんですかね…
以上、報告でした!!(^o^)