つれづれなるままに落書き

オタクの毎日は実に刺激的で彩りゆたかなのであります。せっかくなので、おもしろかったこととか記録しとこうかな…とか。

アッシジに行ってきました

2019-05-20 12:55:49 | グロリア少年合唱団

聖フランチェスコの暮らした街、イタリアのアッシジに行ってきました!

息子の所属する少年合唱団の演奏旅行で、アッシジのフランチェスコ大聖堂でうたうことになったのです。

初の海外旅行でいきなりアッシジです。

我ながらついてます。

フランチェスコのことは何年か前に「アッシジの貧弱」という本を読んでからとても興味を持ち、自分なりにいろいろ彼について勉強して、奉仕職である自分の職業を遂行する上でお手本としなければならないところが多いような気がしてとても敬愛しています。

なのでほんとうに嬉しくて。

一分一秒無駄にせず、アッシジの空気を吸い尽くす勢いで参上したのですが、そこがツアーの悲しさよ。たった半日の滞在、思うように自由な見学の時間が取れず、はがゆい思いをいたしましたよ(T ^ T)

そんな中でなんとかサンダミアーノ修道院、キアラの聖堂、フランチェスコの生家跡だけは見ることができ、フランチェスコ大聖堂では日本語を話せるフランチェスコ会の神父さまに、詳しい解説付きでご案内いただけました\(^o^)/そこはツアーの利点だね。

神父さまのお話はフランチェスコの生涯から聖堂の成り立ち、中に描かれている宗教画の説明までとても丁寧で、ひとつひとつのお話のなかにフランチェスコの思想が盛り込まれていて、心にぐいぐいと食い込んでくるかんじ。この人たちの中にはフランチェスコの精神が息づいてるのだなあとしみじみと感じた。

地下におさめられたフランチェスコのご遺体の周りには、信仰生活を生涯ともにした最初の弟子たちが一緒に眠っています。そのなかに、「アッシジの貧弱」の語り手となっていた兄弟レオーネもおり、一瞬800年の時空を超えた気持ちになってちょっと涙滲んだ。

ホアイ神父はベトナム出身で日本に滞在していたことがあり、今はアッシジ在住でイタリア語で生活しているのだとΣ(゚д゚lll)やっぱり神父になるような方は頭いいんだなぁ、、、、。日本の雑誌にエッセイを連載されているのだそうです。日本語で。すごい。読まなきゃ。

そして夜、日本からやってきた合唱団の少年たちは、フランチェスコ大聖堂の、まさにフランチェスコのご遺体の真上に当たる場所で歌わせていただくことができました。信者冥利に尽きるよね。息子は「ちょっと震えた、、、、」と言ってます( ^∀^)

演奏会終了後の大聖堂はライトアップされていて、ますます神聖なかんじ、、、、

 

で、ローマから日帰りだった親たちのツアーとは別行動の子供たちは、アッシジに4日間。なんてシアワセな!!

息子、帰ってから「もうアッシジに住みたい。どうしたらいい?」というので、「そりゃ修道士になってフランシスコ会にいれてもらうかアッシジの女の子と結婚するしかないよ」と笑いました(≧∇≦)両極端すぎる!!

今回「ちょろっと」アッシジに行けたせいで何かに火がついてしまったわたしは、一年後の再訪を誓いました。今回はオタクとして消化不良すぎた。次はもうすこし時間をかけてフランチェスコに思いを馳せたい。

余談ですが、フランチェスコ会の修道服は質素で素朴でオタク的にゲキ萌えでした。サンダミアーノ修道院で何枚か隠し撮りしてしまいました。

 

 

晴れ渡ったアッシジの空、ずっと風が吹いていました。

三月の、すこし身に染みるような冷たい風。フランチェスコの感じていた風と、たぶん同じもの。体のなかみが新しく入れ替わるような。

ここで生まれ育ち、信仰を得て人生のすべてが新しく入れ替わってしまったフランチェスコ。彼の思想は当時一大センセーションを巻き起こし、両家のお坊ちゃんが次々と彼に従い大問題になったとか。でもほんとうの意味で彼に近づけたものがどれだけいたか。ものの溢れた現代では清貧を貫くことはじつに難しい。完全ではないとしても、こんな世の中で、少しでも彼に近づきたいと願って祈り暮らす者があるということ。大切にしたいなぁ。

オリーブ畑の中で瞑想するフランチェスコのお像、ああほんとうにこに人はここに暮らしたんだなぁとしみじみ思わせてくれました。

アッシジ、また行くぞ!\(^o^)/

あ、念願だったフランチェスコの御像もなんとかゲットです!小鳥じゃなくて狼にした!

 


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