つれづれなるままに落書き

オタクの毎日は実に刺激的で彩りゆたかなのであります。せっかくなので、おもしろかったこととか記録しとこうかな…とか。

ぜんりょく

2013-07-25 21:40:31 | 日記
きのう、妹の同級生がなくなりました。
小さいときから現在に至るまで、実家のめっちゃ近所に住んでる子です。
乳癌だったそうだけれど、ずいぶん前から闘病していたのをあんまり友人には知らせていなかったとか。
訃報をいただくまで妹も知らなかったようで、
2ヶ月前に近所であったときはふつうだった・・・・とかなり動揺している様子。

人間なんて簡単に死ぬ。
いつそのときが来てもいいように、常に神様の前にはずかしくない生き方をすること。

あと、
「おまえはいつだって全力だったと言い切れるのか?!」ときかれて
「言い切れる!」と胸を張って答えられる自分でいたい。

そう心がけて、
いまかかえていることから逃げずに丁寧に暮らしていこうとあらためて思いました。

「エリヤが意外とやさしいおっさんな話」・・・・・2013・6・30 神父サマのおはなし

2013-07-01 06:56:15 | 教会
ルカ9章、「弟子の覚悟」についてです。

3人の「弟子志願者」が登場し、イエスさまについていく前にやり残したことにそれぞれが未練アリな様子。
今回はけっこうキビシイイエスさま、個人個人の小さな都合よりも弟子のお役目を優先させるよう要求します。
中でも「父親を葬りにいかせてください」願い出た者に
「そんなことは人にまかせなさい」といっちゃうのは驚きです。
だって自分の親ですヨ!!親を弔うこともできないなんて!!(ToT)

このエピソードの直前、きょうの福音の冒頭部分、
「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。」ではじまります。
自分自身、受難の決意を固めた直後のおはなしなんですね。
だから、いつもは「まあまあいいじゃないか」的なイエス様(すいません。。。。)も、従う者たちに「それなりの決意」を要求されるんですね。
一人目の志願者には「ワタシについてくると宿も断られるし心がやすまらないよ?」と、キビシイ現実を告げます。
二人目の志願者(この人はイエスさまのほうから誘ってる)には「父を葬るのはほかの人にまかせてついてきなさい」と命じる。
三人目の志願者には「決意をしてからやり残したことに未練をみせるような人は弟子にふさわしくない」と苦言を呈す。(これ一番キビシイと思った!!)

神父サマは、「ま、この中で実際についてきたのは二人目だけでしょうね・・・・・」とおっしゃいました。
含み笑いしながら!!!
あの「にやり」はどういう意味でしょうか!!きになる!!
二人目の人の「父を葬りにいかせてください」というお願いに、イエスさまは「死んでいるものたちに、自分の死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を広めなさい。」といいます。
死んでいるものたちというのは、「神の国」に気付いていない人。
「神の国」に気付いているあなたには、もっとタイセツな役目を担ってほしい。
早く早く。受難もせまっていることですし、イエスさまはちょいと焦っておられます。

というわけで、きょうの福音は、「イエスに従う者の覚悟」が問われています。
時代背景にもよりますが、ルカの福音書が書かれた当時、宣教に出るということは、家族との絆を捨て、行く先々で受け入れられずに痛いめに合うという・・・そうとうの覚悟を必要としたわけです。
日本でいったら戦国時代とか江戸時代とかもそうですよね。
だから、そういった時代には、この部分が非常に重く受け取られタイセツに読まれたたのではないでしょうか。
今の時代の私たちにそこまでの覚悟は要求されないでしょうが、
まぁ実際の話、ドン引きされる覚悟で友達に福音を伝えてみるとか(笑)

いやぁぁぁぁぁ、それ勇気いるわー!!!(^o^;)

で、タイトルですが、第一朗読がエリヤだったんですよ。
今日の福音のイエスさまとまったく同じ立場で、エリヤがエリシャを弟子にスカウトするんですね。
そうすると、エリシャは「とりあえず家族に挨拶させて」ってお願いするんですね。
そこでエリヤ、なんと「いいよいいよ♪いっといで♪」っていうんですよ!!!!
行っていいんだ?!なんか意外!!!エリヤものすごく厳しくて熱いおっさんのイメージだったので!!!

えええええ~~~~~~いいんだぁぁぁぁ~~~~~~・・・・・・

そういえばメンデルスゾーンのオラトリオで「エリヤ」ってあったような・・・・・
こんどきいてみよう・・・・・
(「パウロ」はCD持ってるんだけど・・・・・)