備忘録 the next generation

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二宮尊徳とGoogle books問題

2009-09-15 12:43:16 | 社会・経済

ある日、小田原の二宮尊徳記念館に行ってきた。
尊徳といえば小学校によく設置されている本を読みながら
薪を背負っている銅像のあれだ。二宮金次郎と行った方が
通りがよいかもしれない。

あの人は江戸時代後期に小田原に生まれた人で、うちから
自転車で20分ほどのところに生家がある(復元?)。

以前にもNHKの番組で特集されていたので何をやった人かは
おぼろげに知っていたが、記念館でアニメを見るなどして
分かったことには、彼はどうやら藩の財政を立て直す
経営再建のコンサルとして有名になっていったようだ。

元々は農民なので、農業を中心にした村の再興の請負や、
それに必要な土木工事の指導なども行っていたらしい。

勤勉であるとか倹約であるとか、単純なイメージだけが
石碑や銅像を通じて現代では広く伝わっているようだが、
尊徳の弟子の記した言行録のようなものがWebで公開されて
いて、それを読むと実際にどんな様子だったかが
伺われる。

http://<wbr></wbr>homepag<wbr></wbr>e3.nift<wbr></wbr>y.com/t<wbr></wbr>-moro/n<wbr></wbr>inomiya<wbr></wbr>yawa03.<wbr></wbr>htm

このページの
「第九十一話 人が捨ててはいないが、捨てたと同様に放置されているものが多数ある。
 それを活用すれば、人々の役に立てることができる」

などを読むと、Amazonや今ホットなGoogleの書籍スキャン問題などが
これに通じるものがあって面白い。

http://<wbr></wbr>japan.c<wbr></wbr>net.com<wbr></wbr>/news/m<wbr></wbr>edia/st<wbr></wbr>ory/0,2<wbr></wbr>0000560<wbr></wbr>23,2039<wbr></wbr>9856,00<wbr></wbr>.htm

著作権が切れていなくて、かつ絶版の書籍というものは世界のどこかには
存在していても入手が困難だったり、入手できてもやたら高価だったりする。
しかも有効に利用されているとは考えられず、どこかでほこりをかぶっているのが
おちだ。その権利の扱いをなんとか調整できれば世の中の役にも立って
ビジネスになるというのが目のつけどころだ。

Amazonも売れなくてどこかの書店に死蔵同然になっていた本を日の当たるところに
出してくれたという功績はあるが、絶版の本については古本の扱いで、数にも
扱う範囲にも限界がある。

たぶん、SETI@Homeとか、国の埋蔵金とか活用の難しい資源はいくつでもあるわけだが
権利が整理がつかなかったり、うまく長続きさせるのが難しいものも多そうだ。


開平橋の渋滞

2008-06-16 14:32:44 | 社会・経済

上尾と川越の間にかかっている開平橋は以前から渋滞のひどい箇所だ。
入間大橋の交差点の右折車線の長さや幅が足りないのは明らかだ。
しかも土地がないわけではない。

にもかかわらず、なかなか改良されないのはなぜなのだろうかと、
関東地方整備局「道の相談室」に聞いてみたところ、
要点としては

・該当箇所は国土交通省が管理する河川堤防の一部を県が許可を得て
 管理しているもの
・今後国土交通省が堤防の補強工事を行う見込み
・(道路整備(県)と堤防の補強(国)で)手戻りのないように工事を行うために調整中

ということだった。
荒川が国、道路が県の管理なので調整に時間がかかるのは
やはりという印象だ。

ただ、今後整備を行うことは確実のようなので期待して待って良いのだろう。


問題は起きているのか

2005-06-17 04:43:44 | 社会・経済
私もサッカーについては興味ない派だ。

好きな人はどんどん盛り上がってもいいと思うし、
水を差すつもりもない。でも、メディアがサッカー
一色になってしまうのはどうかと思わずには
いられない。

日本国民総なんとかみたいな雰囲気をメディアが
作りたがっているのか、それに流されやすい
国民性なのか、どちらにせよスポーツでやっている
分にはいいけれども、メディアで取り上げられている
というだけで、よく考えもせずに何かを
信じてしまうこと自体は結構怖いものだ。

人が面白いといっているものは、確かにたくさんの
人が言っていれば面白いだけの理由もあることも
あるだろうし、そうであれば実際に彼らにとっては
面白いのだろう。
とはいえ、もし誰もが熱狂や陶酔、雰囲気を指して
面白いと言うだけで、なぜ面白いのかを合理的に
説明することができなかったとしたらどうだろう?
かなり危なっかしいのではないだろうか。

それはそれとして
なぜ、サッカーがバレーボールより面白いのか?
サッカーのゲームそのもの以外にも、
サッカーの歴史、サッカーをめぐるドラマ、
あるいはキャプテン翼みたいなアニメの存在が
今のサッカー人気を支えているわけで、
そういったものをメディアが提供し続けて
きたから、サッカーが面白いと思えるだけの
材料が整っているのだろう。
また、子供のころから頻繁に触れていれば
思い出とも結びついていたりするかもしれない。

純粋なスポーツとしてのサッカーが他の
スポーツより面白いか否かという比較自体は
無意味で、合理的な説明なんて誰にも
できないはずだ。他の別のスポーツでも
面白いと思えるだけの材料をメディアが
提供さえすれば、それを面白いと思う人は
増えるだろう。

今のこどもたちが、ヒカルの碁やテニスの
王子様を見て育って、経済力をつけてきたとき、
サッカーや野球はプロのリーグを維持できる
だけの人気を集め続けられるだろうか。
メディアはそのとき、スポンサーが資金を
出すものを放送するだけだろう。メディアが
何かを面白いと思っているわけではないのだ。

提供され続ける情報に慣らされて、そのうちそれが
経験に結びついたりするうちに、いつのまにか自分で
自発的にそのスポーツに興味を持ったかのように
錯覚させられてしまっている、ということが起きて
いないと言えるだろうか。