ある日、小田原の二宮尊徳記念館に行ってきた。
尊徳といえば小学校によく設置されている本を読みながら
薪を背負っている銅像のあれだ。二宮金次郎と行った方が
通りがよいかもしれない。
あの人は江戸時代後期に小田原に生まれた人で、うちから
自転車で20分ほどのところに生家がある(復元?)。
以前にもNHKの番組で特集されていたので何をやった人かは
おぼろげに知っていたが、記念館でアニメを見るなどして
分かったことには、彼はどうやら藩の財政を立て直す
経営再建のコンサルとして有名になっていったようだ。
元々は農民なので、農業を中心にした村の再興の請負や、
それに必要な土木工事の指導なども行っていたらしい。
勤勉であるとか倹約であるとか、単純なイメージだけが
石碑や銅像を通じて現代では広く伝わっているようだが、
尊徳の弟子の記した言行録のようなものがWebで公開されて
いて、それを読むと実際にどんな様子だったかが
伺われる。
このページの
「第九十一話 人が捨ててはいないが、捨てたと同様に放置されているものが多数ある。
それを活用すれば、人々の役に立てることができる」
などを読むと、Amazonや今ホットなGoogleの書籍スキャン問題などが
これに通じるものがあって面白い。
著作権が切れていなくて、かつ絶版の書籍というものは世界のどこかには
存在していても入手が困難だったり、入手できてもやたら高価だったりする。
しかも有効に利用されているとは考えられず、どこかでほこりをかぶっているのが
おちだ。その権利の扱いをなんとか調整できれば世の中の役にも立って
ビジネスになるというのが目のつけどころだ。
Amazonも売れなくてどこかの書店に死蔵同然になっていた本を日の当たるところに
出してくれたという功績はあるが、絶版の本については古本の扱いで、数にも
扱う範囲にも限界がある。
たぶん、SETI@Homeとか、国の埋蔵金とか活用の難しい資源はいくつでもあるわけだが
権利が整理がつかなかったり、うまく長続きさせるのが難しいものも多そうだ。