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諏訪大社上社本宮 社殿(阿像 吽像 神楽殿 五間廊 勅使殿 など)🙂😐😐全国に一万社を超える「諏訪神社」の総本社

2020-08-13 15:00:00 | 神社仏閣
軍神・農耕神・狩猟神「お諏訪さま/諏訪大明神」として信仰される「諏訪大社」は、全国に一万社を超えるという「諏訪神社」の総本社で、ここ「上社本宮」(諏訪市)の他に「上社前宮」(茅野市)、「下社秋宮」(下諏訪町)、「下社春宮」(下諏訪町)の「諏訪湖」周辺三ヶ所にも境内をもち、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」を主祭神とする旧社格「官幣大社」で、神社本庁の「別表神社」だ。
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「諏訪大社」の由緒については、「天孫降臨(てんそんこうりん)」以前から、日本の古称「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」を治めていた「国津神(くにつかみ)」が、「高天原(たかまがはら)」の神「天津神(あまつかみ)」へ「国譲り(くにゆずり)」する「古事記」の説話にその発端があるとされる。「国津神」の主宰神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神」は、「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」との「力競べ」に敗れて、「州羽の海(すわのうみ)」に逃れたが、進出による土着の狩猟系先住民族との争いに勝利し、出雲系稲作民族を率いる「建御名方神」子孫「諏訪氏」が、「諏訪大明神」「依代(よりしろ)」の現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて諏訪地方に君臨したといわれる。
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土着の「洩矢神(もりやのかみ)」子孫「守矢氏」は、共棲を選択し世襲の「神長官(じんちょうかん)」として仕え、縄文時代から諏訪地方に根付いていた信仰における精霊と言われる「ミシャグジ(御左口神/御社宮司)神」の祭祀を取り仕切ったといわれる。それぞれの世襲は1871(明治4)年の「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで続いたという。
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なお、参詣にあたっては、土産物店の連なる「大鳥居」から「北参道」を使う機会が増えているが、本来の参詣順路として案内される「東参道」に回り、境内にひろがる社殿の一つひとつを拝観しながら「拝所」へ進みたい。
 ❖ 阿像(獅子) 吽像(狛犬)  「北参道」入口「大鳥居」脇の「阿像(獅子)」と「吽像(狛犬)」は、彫刻家の「矢崎虎夫(やざきとらお)」(1904/明治37年7月25日~1988/昭和63年9月24日)の制作だ。同氏は、「諏訪郡永明村」(現在の「茅野市」)に生まれ、「高村光雲(たかむらこううん)」門下「平櫛田中(ひらくしでんちゅう)」に師事、渡欧してキュビスムや黒人彫刻の影響を受け独自のスタイルを生んだといわれる「オシップ・ザッキン」(1890~1967)に師事して、仏典や歴史に取材した作品を多く手がけたという。
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1985(昭和60)年に奉献された力強さあふれる「空想上の守護獣像」は、神聖な場所を邪気から守る魔除けの役割をもつが、向かって右の角がなく口を開いているのが「阿(あ)像」の「獅子(しし)」、左の角があって(角がないものも多い)口を閉じているのが「吽(うん)像」の「狛犬(こまいぬ)」だ。現在は「獅子と狛犬」という呼称が消えて、両者合わせて単に魔除けのために置かれる像「拒魔犬(こまいぬ)」から、「狛犬」という言い方が定着して来ているが、「狛犬」とはあくまでも空想上の動物で「犬」ではない。
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起源は古代オリエントの「スフィンクス」まで遡るといわれるが、ガンダーラを経由して中国に入り、遣唐使が我国に持ち帰って、対の獅子像が寺院山門の仁王像の影響を受け、平安時代までに「獅子と狛犬」という独自の「阿吽」形式に変わったのではないかと言われている。
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ちなみに沖縄の「シーサー」は、「獅子」を沖縄語で発音した伝説の獣で、災厄をもたらす悪霊を追い払う魔除けとされている。なお、「上社本宮」境内の「雷電像」も「矢崎虎夫」の代表作のひとつとされている。
 ❖ 神楽殿  2016(平成28)年に「国重要文化財」の指定を受けた「神楽殿」は、1827(文政10)年、「上桑原村」(現在の「諏訪市」)の大隈流「伊藤伝蔵」によって上棟された「四方吹き通し」桁行四間、梁間三間の入母屋造りの建造物だ。「神楽殿」とは、祈願者の神楽奉納の御殿を言うが、神楽の奏上だけではなく、拝殿の意味をもっているといわれる。
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収まる大太鼓は、「神楽殿」建立と同時に奉納された江戸時代のもので、胴は樽と同様の合わせ木作り、直径180センチメートルだというが、国内一と言われる牛の一枚皮でつくられていて、大晦日のみ打たれるという。
 ❖ 天流水舎  1828(文政11)年造営、1959(昭和34)年改修で、2016(平成28)年に「国重要文化財」の指定を受けた「天流水舎(てんりゅうすいしゃ)」は、「宝殿の天滴」で知られ、「諏訪大神」が水の守護神として崇敬される所以となっている。現地に「俗にお天水と称されるどんな晴天の日でも雫が三滴は屋根上の穴から降り落ちると云われ諏訪の七不思議の一つ」で、「旱天の祈りにはこのお水を青竹に頂いて持ち帰り雨乞いの祭りをすると必ず雨が降ると云い伝えられる」と案内される。

 ❖ 五間廊 勅使殿  「廊下様式切妻造り」の「五間廊」は、上社五官の「神長官(じんちょうかん)」「禰宜太夫(ねぎだゆう)」「権祝(ごんのほうり)」「擬祝(ぎのほうり)」「副祝(そいのほうり)」着座による神事について古記録が残る社殿で、現在の建物」は1773(安永2)年に再建され、2016(平成28)年に「国重要文化財」の指定を受けているという。
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その「五間廊」とともにある「勅使殿(ちょくしでん)/神門戸屋/帝屋」の現在の建物は、1690(元禄3)年に造営され、安政年間(1855年~1860年)に大修理が加えられた「切妻流れ正面大唐破風造り」で、やはり2016(平成28)年に国の指定を受けている「重要文化財」だ。
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かつての「勅使殿」は、現在の「神楽殿」周辺にあり、拝殿の性格を持っていたというが、「大祝(おおほうり)」即位の神事や、「勅使参向(ちょくしさんこう)」では天皇や地方官から神に奉献する供物「幣帛(へいはく)」の授受が行われたり、元旦の朝「上社本宮」東参道鳥居前の「御手洗川」で、蛙を捕え神前に捧げる「蛙狩神事(かわずがりしんじ)」や、1月5日に行われる「上社」の特殊神事「御頭受神事」など数々の神事が行われたという。なお「蛙狩神事」とは、「諏訪大社」起こりの祭神が、蛇神とされる土着神「ミシャグジ神」「ソソウ神」であったことによる神事と言われている。
 ❖ 神馬舎(駒形屋)  古くは「諏訪大社」の祭神で「建御名方神」とその妃「八坂刀売神」の神馬の屋形だったというが、明治以降は1649(慶安2年)に郡主と家中が寄進した御幣を背負う「黒い唐銅製の駒形」と、祭事などに使う作り物の馬「白い木製の駒形」の二体を安置している。現在の「神馬舎(しんめしゃ)/駒形屋」は、1846(弘化3)年の造営で、2016(平成28)年に国の指定を受けている「重要文化財」だ。
 ❖ 贄掛けの欅  「神馬舎」傍近にある境内最古の樹木のひとつで、1974(昭和49)年「諏訪市指定天然記念物」に指定された推定樹齢約千年の「欅」だ。古くは神に供える土地の魚・鳥など「贄(にえ)」や「御狩(みかり)」の獲物を掛けて祈願したことから、「贄掛けの欅(にえかけのけやき)」と呼ばれるという。樹高35m、幹回り8.7mだが、近年は樹勢が弱って、養生に注意を傾けているという。

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