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諏訪大社上社本宮 社殿(拝所 幣拝殿 硯石 東宝殿 西宝殿 社叢)🙂😐😐本殿がなく「守屋山」を御神体とする「諏訪造り」の神社

2020-08-11 13:00:00 | 神社仏閣
軍神・農耕神・狩猟神「お諏訪さま/諏訪大明神」として信仰される「諏訪大社」は、全国に一万社を超えるという「諏訪神社」の総本社で、ここ「上社本宮」(諏訪市)の他に「上社前宮」(茅野市)、「下社秋宮」(下諏訪町)、「下社春宮」(下諏訪町)の「諏訪湖」周辺三ヶ所にも境内をもち、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」を主祭神とする旧社格「官幣大社」で、神社本庁の「別表神社」だ。
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「上社前宮」以外には「本殿」がなく、「下社秋宮」は櫟の木、「下社春宮」は杉の木を御神木としている。ここ「上社本宮」は「守屋山」を御神体とし、「幣拝殿」と「片拝殿」のみで「本殿」がなく、社殿の四隅に「御柱」が建つ「諏訪造り」という独自様式だが、1964(昭和39)年に指定を受けた「長野県天然記念物」の落葉樹自然林「社叢」に相応しい質実森厳な趣をもって、その姿を見せてくれる。
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927(延長5)年にまとめられた当時の「官社」の一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に、「南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)」と記される「諏訪大社」の由緒については、「天孫降臨(てんそんこうりん)」以前から、日本の古称「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」を治めていた「国津神(くにつかみ)」が、「高天原(たかまがはら)」の神「天津神(あまつかみ)」へ「国譲り(くにゆずり)」する「古事記」の説話にその発端があるとされている。
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「国津神」の主宰神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子「建御名方神」は、「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」との「力競べ」に敗れて、「州羽の海(すわのうみ)」に逃れたが、進出による土着の狩猟系先住民族との争いに勝利し、出雲系稲作民族を率いる「建御名方神」子孫「諏訪氏」が、「諏訪大明神」「依代(よりしろ)」の現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて諏訪地方に君臨したとされる。世襲は1871(明治4)年の「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで続いたという。
 ❖ 拝所  「大鳥居」から真っ直ぐ「塀重門」に向かう約110mの順路「北参道」を使う参詣者が増えているが、本来の参詣順路と案内される「入口御門」「布橋」からの順路「東参道」を使う場合は、約300mで「拝所」だ。
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左右「片拝殿」に付随して建てられている「拝所」は、1983(昭和58)年12月26日に、国の「重要文化財」に指定されているが、一般参詣者が進むことのできる最終の社殿で、ここから恒例祭典や重要神事の場である「幣拝殿」への参拝をおこなうようになっている。なお、社殿に施されている細緻な彫刻も忘れずに目に留めたい。
 ❖ 幣拝殿  独自様式「諏訪造り」で、「本殿」を持たない「諏訪大社上社本宮」の社殿配置は、四隅に「御柱」が建ち、「幣拝殿(へいはいでん)」と左右の「片拝殿(かたはいでん)」で構成されている。私事の祈祷をおこなう場所は「勅願殿」で、「幣拝殿」は恒例祭典や重要神事をおこなう場所だという。
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「諏訪大社上社本宮」は、1582(天正10)年「織田信長」による兵火で、「神輿(みこし/しんよ)」を除きすべての社殿が焼失したとされるが、仮殿から順次再建し、1617(元和3)年に社殿の完成をみたという。
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現在の「幣拝殿」は、1835(天保6)年に左右「片拝殿」「脇片拝殿」とともに、宮大工「二代目立川四郎富昌(たてかわ わしろう とみまさ)」(1782/天明2年~1856/安政3年)と地元の宮大工「原五左衛門親成」によって上棟されたという。1983(昭和58)年12月26日に、国の「重要文化財」に指定されている
 ❖ 硯石  本来の参詣順路として案内される「東参道」の「入口御門(いりぐちごもん)」から「布橋(ぬのばし)」を進むと、「東宝殿」「西宝殿」に挟まれて「四脚門(よつあしもん)」があるが、その奥「脇片拝殿」の屋根の上に、瑞垣で囲われ苔に覆われたかなり大きな石が見える。
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この石が「硯石(すずりいし)」で、凹面が常に水を湛えていることからその名があるというが、現地に「鎌倉時代の大社の神楽歌に 明神は 石の御座所に おりたまふ みすふきあげの 風のすすみに とある如く明神の天降り給う場所であり神降しをする古代宗教の最高至極の位置であったと云われている」と、神が降臨する場所であり、神の依代(よりしろ)とされる「磐座(いわくら)」であることが案内される
 ❖ 東宝殿 西宝殿  本来の参詣順路として案内される「東参道」の「入口御門」から「布橋」を進むと、境内のほぼ中央にあたる場所に、「四脚門(よつあしもん)」を挟んで茅葺の「東宝殿」と「西宝殿」がある。
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本殿と呼ばれる建物を持たない「上社本宮」にとって最も重要とされる「御宝殿(ごほうでん)」で、現地で「御神輿及び御神宝を蔵める神聖な御殿であり一般の神社の御本殿に相當する」と案内される
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寅年と申年ごと交互に一殿を建て替えて、遷座祭が行われるが、「東宝殿」「西宝殿」の二殿あるので、仮殿へ神霊を移す「遷座(せんざ)」の必要はなく、新造の御宝殿にすぐに遷座されるという。ただ古記録によれば、新造して六年経過した御宝殿に遷座し、旧殿を新造して六年経過させるというのが本義で、ために二殿が並立していたという。
 ❖ 社叢  1964(昭和39)年8月20日「長野県天然記念物」に指定された区域で、中部地方の特徴的な落葉樹自然林として、「栗」「楓」「藤木」などの樹木160種以上、「山吹草」「連福草」「深山刺草」などの草本420種以上が、約11.5ヘクタールに自生しているという。
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足を踏み入れることはできないが、「勅願殿」脇から見上げる「社叢」は、生い茂る植物に覆われて鎮まる神域から流れ来る風を感じることが出来る場所だ。

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