2006.4/13(木)
今日から2年生の始まりだ! 気を引き締めて治療してもらいましょう♪
外来でお会いした人
14年乳がんと闘ってこられている方。某大学病院で乳がんの手術(当時では今よりももっと珍しい30才前半での乳がん)手術後再発 原因は化学療法が全くほどこされていなかったためだ! 当時彼女のお子さんは 8才 4才 3才!しかも母子家庭。その病院はなんて酷い病院なんだろう!その後、当病院にたどり着き当時の主治医と出会い、再発に対する治療に入る。彼女の当時の主治医は、検査・手術・治療の内容をみてあきれはて某大学病院の担当医(主治医)に連絡を取り抗議したそうだ。(偉い!! 医師が医師に抗議する何て凄いと思う)「どうして抗癌剤投与をしなかったのか!するべき状態じゃないか!」相手は自分の非を認めたそうだが、彼女の気持ちを思うと・・転移は 骨に。長い間歩けなかったそうだ、今でも杖が必要だったりする。次に 肺に。子宮に。リンパも腫れ他にも転移!何度も何度も入退院を繰り返したそうだ。浮腫も酷かった。以前は何倍にも腫れていたそうだ。浮腫になったら必ず冷やすのよ!と 教えてもらいました。その彼女と初めて出会ったのは私が抗癌剤入院をしていた時である。昨年だから2005.8月位だったかな?その当時、いつもの事ながら「3泊4日の抗ガン投与の旅」である。とても細くて本当に今にも折れそうなくらい細い姿が印象的な彼女だった。彼女の声は、肺や気管支の関係で絞り出すような細く空気が抜ける感じの声。年齢よりも上に見えていました(ゴメンネ!)いつものように外見全然病人に見えない私。カーテンフルオープン! ウエルカム!みなさん・・・の状態でリラックスしていると、当然の如く人と目が合います。そこですかさずご挨拶♪ 同じ乳がんのおかげで(?)沢山お話が出来ました。外見病人(再度ゴメンネ!)の彼女の『 心 』は、優しく!大きく!健全そのもの!当時の彼女は、もう片方の乳房に出来た癌が、皮膚を破って出てきた。それを取り除く手術で入院。検査、検査で、なかなか手術をしてくれないと「愚痴」をこぼしていた。「早くとっちゃいたいのに~」
「まぁまぁ・・・先生も考えているんだよぉ~ 体力も必要だからサ~!」「ムクさんはホントに体力ありそうだもんね」「ゴメンネ あるわよぉ~」笑いながらとんでもない話をしていました。短い時間だったけれど、何度もお互い泣きながら話せたことが距離をとっても縮めてくれた。今年2006年1月、肝臓に転移が発覚。前回(1月)は1㎝だったのに、今回(3月)は倍の2㎝になっていた。どうして何にもしてくれないの?彼女の、不安が伝わる・・・・ そうだよねちゃんと治療したいのに、期間を置くにも、どうして期間を置くのか、ちゃんと説明されて納得できていなければ、納得してない時間が過ぎていくのはものすごいストレスで不安だよね。彼女はこう言っていた「ちゃんと訊けばいいんだけど、そんなことじゃないんだよね・・・」彼女はわかっている!その上で悩んでいるのだ。こういう時は彼女の気持ちを受け止めるだけでいいんだと思う。ご家族の事にも悩まれていた。お子さんが3人。22才で今年の春就職のご長男を筆頭に、18才で専門学校入学のご長女。17才で高校生のご次男。この日はご長男の方とご一緒の外来。(いつもご長男とご一緒である)下の子 2人がちっとも理解していないのが悩みだそうだ。今の自分の危機的状況が理解されないのはとてもツライと言っていた・・・。身近な人、大切な人に自分が望んだように理解されないのは結構ツライんだよね。ましてや今の状況を考えるときっと伝えたいことが沢山あったと思う。自分が大変な状況であることを自分で説明するのは、つらい。日記形式みたいに何でも思ったことをノートに書き連ねてみるのはどうかな?と提案してみた。意外と、嫌なことも書いているうちに少しは楽になるかもしれないし・・・・。
ダメだ涙がとまらん。どんな癌にも効く薬はないのか
またこの日、初めてお会いした方で乳がんの手術で左乳房全摘後、乳がんの転移による8回の手術(肺・肺リンパ・リンパ腫・膵臓・子宮・右胸全摘)何年も続いた抗癌剤治療を乗り越えてきた方がいました。今回、肝臓と大腸に転移がみられたとのこと。「先生に抗癌剤のお話をしいていただいたけれどネ もういっぱい抗癌剤を身体にもらっているからいらないわぁって申し上げたら、先生は笑っていらっしゃったわぁ」明るくジョークを飛ばしていらっしゃいました。
以前にも書いた両方の胸とリンパを同時手術された方が、抗ガン剤投与中に白血球が異常に低くなった(なんと800を切った)ため、毎日の通院をしていらっしゃいました。体中にオデキや、口内炎。眼球出血(目が真っ赤!)本当は入院した方が良いのだそうが・・・家が一番と、通院を希望されたそうだ。土日も関係なく通院して数値をみて白血球をあげる薬を投与したり。「先生がちゃんと準備してくれて、フリーパスなんだよ」毎日ちゃんと診てもらえると安心だよね。よかったね。心配事は少ない方が良いモンね。でも彼女の採血は両方のリンパ節を郭清しているため毎回足で採血しているのだ。
わたしは彼女たちに言われた
まだ!まだ!やっと1年じゃない。しっかり生きなさい!
また、噛み締めるモノが増えた!
今日から2年生の始まりだ! 気を引き締めて治療してもらいましょう♪
外来でお会いした人
14年乳がんと闘ってこられている方。某大学病院で乳がんの手術(当時では今よりももっと珍しい30才前半での乳がん)手術後再発 原因は化学療法が全くほどこされていなかったためだ! 当時彼女のお子さんは 8才 4才 3才!しかも母子家庭。その病院はなんて酷い病院なんだろう!その後、当病院にたどり着き当時の主治医と出会い、再発に対する治療に入る。彼女の当時の主治医は、検査・手術・治療の内容をみてあきれはて某大学病院の担当医(主治医)に連絡を取り抗議したそうだ。(偉い!! 医師が医師に抗議する何て凄いと思う)「どうして抗癌剤投与をしなかったのか!するべき状態じゃないか!」相手は自分の非を認めたそうだが、彼女の気持ちを思うと・・転移は 骨に。長い間歩けなかったそうだ、今でも杖が必要だったりする。次に 肺に。子宮に。リンパも腫れ他にも転移!何度も何度も入退院を繰り返したそうだ。浮腫も酷かった。以前は何倍にも腫れていたそうだ。浮腫になったら必ず冷やすのよ!と 教えてもらいました。その彼女と初めて出会ったのは私が抗癌剤入院をしていた時である。昨年だから2005.8月位だったかな?その当時、いつもの事ながら「3泊4日の抗ガン投与の旅」である。とても細くて本当に今にも折れそうなくらい細い姿が印象的な彼女だった。彼女の声は、肺や気管支の関係で絞り出すような細く空気が抜ける感じの声。年齢よりも上に見えていました(ゴメンネ!)いつものように外見全然病人に見えない私。カーテンフルオープン! ウエルカム!みなさん・・・の状態でリラックスしていると、当然の如く人と目が合います。そこですかさずご挨拶♪ 同じ乳がんのおかげで(?)沢山お話が出来ました。外見病人(再度ゴメンネ!)の彼女の『 心 』は、優しく!大きく!健全そのもの!当時の彼女は、もう片方の乳房に出来た癌が、皮膚を破って出てきた。それを取り除く手術で入院。検査、検査で、なかなか手術をしてくれないと「愚痴」をこぼしていた。「早くとっちゃいたいのに~」
「まぁまぁ・・・先生も考えているんだよぉ~ 体力も必要だからサ~!」「ムクさんはホントに体力ありそうだもんね」「ゴメンネ あるわよぉ~」笑いながらとんでもない話をしていました。短い時間だったけれど、何度もお互い泣きながら話せたことが距離をとっても縮めてくれた。今年2006年1月、肝臓に転移が発覚。前回(1月)は1㎝だったのに、今回(3月)は倍の2㎝になっていた。どうして何にもしてくれないの?彼女の、不安が伝わる・・・・ そうだよねちゃんと治療したいのに、期間を置くにも、どうして期間を置くのか、ちゃんと説明されて納得できていなければ、納得してない時間が過ぎていくのはものすごいストレスで不安だよね。彼女はこう言っていた「ちゃんと訊けばいいんだけど、そんなことじゃないんだよね・・・」彼女はわかっている!その上で悩んでいるのだ。こういう時は彼女の気持ちを受け止めるだけでいいんだと思う。ご家族の事にも悩まれていた。お子さんが3人。22才で今年の春就職のご長男を筆頭に、18才で専門学校入学のご長女。17才で高校生のご次男。この日はご長男の方とご一緒の外来。(いつもご長男とご一緒である)下の子 2人がちっとも理解していないのが悩みだそうだ。今の自分の危機的状況が理解されないのはとてもツライと言っていた・・・。身近な人、大切な人に自分が望んだように理解されないのは結構ツライんだよね。ましてや今の状況を考えるときっと伝えたいことが沢山あったと思う。自分が大変な状況であることを自分で説明するのは、つらい。日記形式みたいに何でも思ったことをノートに書き連ねてみるのはどうかな?と提案してみた。意外と、嫌なことも書いているうちに少しは楽になるかもしれないし・・・・。
ダメだ涙がとまらん。どんな癌にも効く薬はないのか
またこの日、初めてお会いした方で乳がんの手術で左乳房全摘後、乳がんの転移による8回の手術(肺・肺リンパ・リンパ腫・膵臓・子宮・右胸全摘)何年も続いた抗癌剤治療を乗り越えてきた方がいました。今回、肝臓と大腸に転移がみられたとのこと。「先生に抗癌剤のお話をしいていただいたけれどネ もういっぱい抗癌剤を身体にもらっているからいらないわぁって申し上げたら、先生は笑っていらっしゃったわぁ」明るくジョークを飛ばしていらっしゃいました。
以前にも書いた両方の胸とリンパを同時手術された方が、抗ガン剤投与中に白血球が異常に低くなった(なんと800を切った)ため、毎日の通院をしていらっしゃいました。体中にオデキや、口内炎。眼球出血(目が真っ赤!)本当は入院した方が良いのだそうが・・・家が一番と、通院を希望されたそうだ。土日も関係なく通院して数値をみて白血球をあげる薬を投与したり。「先生がちゃんと準備してくれて、フリーパスなんだよ」毎日ちゃんと診てもらえると安心だよね。よかったね。心配事は少ない方が良いモンね。でも彼女の採血は両方のリンパ節を郭清しているため毎回足で採血しているのだ。
わたしは彼女たちに言われた
まだ!まだ!やっと1年じゃない。しっかり生きなさい!
また、噛み締めるモノが増えた!
私はブログという形ではきだすことで、結構、冷静に考えられるようになってきているかも。皆のブログをみて考えたり、励ましたり。
その方たちが、ネットを見られる環境にあれば、是非、キャンサー娘。の仲間に入って欲しいです。コメントするだけでも違うと思う。
つらいときでも前向きに笑顔でいられる自分でありたいとも思います。
がんばっていきましょう!
ムクさんのブログ、ホームページとブログにリンクさせていただいてもいいですか?
我が身も考えちゃうよ。
医師が抗議したとはね・・、わかるな。
医者同士はわかるんだよね、どーしてこんなことをやってんだ?ってね。
私も思うんだ、自分で切り出す運命があるわりには、どうにもならない運命もあるって。
「あのときあーしてれば」というタラレバっって、的確なようででも実はもしやっていても現実そうなったかといったら、確実はないじゃない。
やはり、自分でそのときやれるだけのことはきちんとやっての積み重ねと後は運なのかもね。
完治するクスリがあったら、ほしいね。
でも、それはムクさん意外と自分の中にある「クスリ」だと私思っているの。
それが一番万能だと思うんだ。
私も今それを探して作っている最中かも。
必死で頑張っている人達に掛ける言葉がない。
祈るだけです。
困難な状況の中、あきらめずに一生懸命闘っている人達がたくさんいるんですね。
少しでも良くなるように私も一生懸命祈ります。
私もこの一月に一年経ちました。
自分の中ではいろいろあって
何度も挫けそうになったけれど
今日のお話を見ていると
まだまだ負けられないと思いました。
私の大切な友達も
再発治療中です。
とても辛そうだけれど
いつも励まされています。
みんなが少しでも
元気にいられますように
祈ることしかできないけれど
祈ります。
ブログを始めたときの「ドキドキ感」や、マゴマゴしてしまいちゃんとお返事が出来なかったことを思い出しました。
今度訊いてみよう!
情報格差を埋めなきゃね~!
大歓迎デスヨォ~
私もブックマークさせて下さいね。
yaccoさんのブログに出逢ったとき、そのあったかい雰囲気とひたすら前向きな姿勢に惹かれました。
私も、どんなときも自分の生きる力を信じて歩こう!ってみんなに教えてもらいました。
みんなでガンバって生きようネ
その時の医術がそこまでのモノなら・・・まだ他に感じられるが・・・明らかに医師の選択ミス・怠慢は絶対にあっちゃならない!!!
病院・医師の選択の難しさを彼女が教えてくれた。
ちゃんと患者も勉強しなくちゃダメよ・・と。
これからは、自分の中の「クスリ」にも目を向けて行かなくては!だね。やっぱり最初に頭に浮かぶのは「食」だな。
「食」の改善からだね。
大変な局面を向かえていらっしゃる方々と向き合ったとき・・・本当に言葉にならない!
一生懸命な気持でお気持ちが元気になるのを願うしかできない・・・。
でも、
でも
のほほんさんがおしゃられているとおり、それが とっても大切なことなんだと私も思います。
やさしいお気持ちをいただき ありがとう!
やすっちさんは19才と17才のお母さんなのですね。
昨年は激動の1年だったこととお察しいたします!
お母さん達の闘病は大変たと思っています。だって、私は独身ですから気持ちが悪ければな~んにもしないとういう選択が気軽に出来ますが・・・お母さん達は下手したら吐きながら家族の御飯を作っていましたモン・・・。
かあさんは偉大だ
大切な人が頑張っている姿に私達も励まされるのと同じように、人を励ます事が出来る人でありたいと思いますね