乳がん1年生の成績表(2006.4/7)
2005.4/13(水)主治医からの癌告知
(これが 乳がんへの入学だった!)
だからこの4月13日が 私の乳がんの日。
(だからもう少しの間だけ私は乳がん1年生なのよ~)
2005.4/15(金)に退院して
4/16(土)に花見をしていた
自分が乳がんであることを噛み締めながらの花見だった 桜の花が散るたびに 来年も生きてこの景色が観られるのかしらと 涙がポッロポロ落ちてシートの上で音をたてていた 乳がんがどういうモノかも知らない 癌だと聞いただけで死んでしまうんじゃないかとさえ思っていた
もう一回手術をしなくてはならない・・・と聞いて
しなかったらどうなるの? ・・・漠然と思っていた
不安×100万倍って感じ
あの時・・・得体の知れないモノの陰に怯えるのはイヤだと思った
なんだかわからない事に不安を抱えるのは性に合わない
一生懸命ツッパる。しっかりしよう
社長が泣いたと聞いた・・・
近所の豚カツ屋で人目もはばからずに泣いたと後日聞いた
妙に嬉しかった・・・
私の命を惜しんでくれる人がいるとわかると妙な安心感がある
だからかなこれが生きる力になるんだと思った
独りじゃない だから大丈夫
どんなことがあっても前に 前に歩こう!
・・・去年の花見は『決心』の花見でした。
そして今年2006.4/4(火)会社で
4/6(木)母とメグと花見が出来た。
どちらも、涙のない 笑顔の絶えない花見になった。
昨年のことを話しながら手弁当を食べる
ガンバって良かったっと思った
( 好物てんこ盛りだし、和菓子も食べたし腹の方も満足でした)
自分のために 周りの人のために
真剣に考え、逃げないで良かったと
・・・噛み締めることが出来た・・・。
仲間がいる 母が生きている
どんなことがあっても私は私らしく生きることが出来る。それはきっと、弱くて脆くてひねくれて沢山嫌になっちゃう自分を視て、それでも自分をやめようと思わなかったから。最後の最後で私だったから。失敗しても、恥をかいても、負けても、狡いことをしても、決してゆるがない 私は自分を見捨てない 私は私を愛している
絵門ゆう子さんが亡くなった4月3日午後10時43分 享年49歳 (聖路加国際病院)彼女は本当にみんなに「生きて欲しい」と願っていたんだと思う。「生きる」という言葉の中に沢山の意味や思いを伝えたくて生きた彼女に心からご冥福をお祈りいたします。
乳がんになって色んな事に撃ち当たった。それでも・更に・大変な思いを抱えている人がいるのだとわかった。人は人 自分は自分だよ。その事を理解した上での気持。その中で相手を大切に思う気持ちを大事にしたい もしも 私の気持ちが閉じこもったままなら きっと こんな風に思えなかったに違いない。
主治医に
4階の病棟スタッフに
同室・別室の患者の方々に感謝。感謝しています。
私は みんなからエールをもらう がんばって!と言ってくれる 頑張らなくていいよとも言ってくれる 本当にありがたい 私も見習おう!
人に理解されず苦悩することもあった・いや・今でもある・・きっとこれから先もあるだろうし・・・そのたんびに悩むと思う。気持がささくれる時もある。でも それを・・・嫌うのはやめよう・・・生きていれば起きうることだ。癌に限った事じゃない。
私にどう接していいか判らない人に対して
・・・私は優しくなかったと思う
どんなことがあっても
相手を大切に思う気持ちが私の中にちゃんとあれば
勇気を出して努力ができる
その気持の源は「わかちあいたい」と思う温かい想いからなのだから。判らないことさえも分かち合えることが出来る!!!!! 今・・・やっと 今・・・やっと 心から思える こうして書くことが出来る。そして、振り返る度に思い出しまた立ち返る心を持ちたいと想います。
追伸ボ・・・
今 これを読んでくれているあなたに!
そして 関わってくれた方々に 感謝の気持ちを!
そしてこれからも宜しく頼みます!
自己採点・・・・・ 1年間よく頑張りました 花◎
4/4・・・・・・社長がお花見弁当を作ってくれた! 感慨深い花見をした。
4/6・・・・・・母とメグと3人(?)で花見。 ゆっくり歩く 涙が出た。
守りたい 大切な人をこの手で守りたい 愛している