乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

神谷バー・・・気分?

2006年04月29日 21時49分15秒 | 美味い食事
浅草にあります(うちの社長の聖地です)神谷バー 』 の気分で飲み会です。デンキブランをキンキンに冷やしショットグラスに!生ビールをジョッキに!生ビールをチェイサーにストレートのデンキブランを飲むのがお作法最初この飲み方を知ったときにはビックリしたね~。だって、アルコールのチェイサーがアルコールって・・・どんな飲んべェだぁ~よぉ~

こ~んな感じで↑ 私はあんまし飲めません(ホントです)

スッキリ茶髪★

2006年04月24日 15時58分39秒 | 乳がん2年生
行っちゃいました 美容室ず~っと自毛で通していたので、どんなときもナチュラル?状態(野放し)。そんなこんなで(?)やっと毛も生えそろってきたので、ここいらで整えようと思いましてネ・・・・(乳がんの抗癌剤投与後は美容院って行かないモンね。)担当は、前回(夏)お世話になった美容師さんで、9ヶ月ぶりの再会♪「お元気そうでよかったね」「そうなのよぉ~来たわよぉ~来ちゃったわよぉぉ~」「あら?パーマかけたの?」「違う違う抗癌剤の癖毛っすよん(懇願)なんとかしてくれる?」「う~ん・・・・ いけるとおもいますよ!」ついでに・・・カラーを入れたくて(頭によぎる「無謀」の2文字)でもでもで~~もぉ~我慢できずにやっちゃいました(笑)

時間もかかって、長時間同じ体勢で座っていたモンで、チョット具合が悪いけど、まぁいいっか。カットしたり、シャンプーしたり、美容師さんの手が頭に触れる感覚は久しぶりですな(プロの技は きもちいぃっ)「この毛質ってこの先、元に戻るかな?」「う~ん・・・・たぶんこのまんまじゃないかな~」「・・・・そうなの?」「まぁもともとクセもあったしね パーマかけないでイイと思って仲良くつき合うしかないョね」う~~ん。まぁ・・・・いっか!こんなに生えてるおかげで、身体の負担はとっても軽減されるしね。カットもカラーも出来!これで完璧サ!

4/20(木)外科外来(乳がん)

2006年04月23日 22時35分25秒 | 乳がん2年生
ゾラディックス(乳がんのホルモン治療)11回目
「今日はここ(腹下)にして下さい」 自分で打つ箇所を指定。麻酔してから即注射!心なしかいつもより丁寧な感じ。今回もアンプルの写真を撮ろう撮ろうと思いながらなかなか実現ならず! (混んでいて遠慮したのだよ)外来は恐ろしいくらい混んでいた。この時期は健康診断の人や、健康診断でひっかかった人が大勢来ている。今回は自分の腫瘍マーカーの履歴をみせてもらう。すぐに応じてくれるのでありがたい。最初の腫瘍マーカーは昨年2005.4/22癌告知後の血液検査で初めてリクエスト・・・・(素人考えだが・・・チト遅くない?)すかさず主治医に質問「なんでこの時期にしかやってないの?」「・・・腫瘍マーカーは「乳がん」とわかってからやるから・・・」
・・・・・・・・・・・・・・  ?  ・・・・・・・・・ ? ・・・・・・・・ ????????
そんなもんなのかな。まぁ、いいんだけれどね・どっちみち 4/22の値は 全くの正常値!やっぱね。やっぱね。身体に癌が残っていたのに! この値しか出てないんだもの。今回本当の目的は、自分の癌がこの腫瘍マーカーに反応するタイプかどうか!これが知りたかったのだ。結果、思っていたとおり、「反応しないタイプ」だった。だから少しでも反応したときは気をつけようっと。・・・・心に留める私であった。今まで頑張ってきた大切な「血管」が硬くなりました。きっとあん時のグリグリでやっちまったんだとガックリした。何とか今回出来た(副部長・主任・主任の順で交替し30分)が次回が思いやられる(トホホッ・・・・)ちなみに 血管探しの時、丹念に手首を物色!危うく手首に!
ランチは癌友の方々と6人でお喋りしながらの楽しい時間は あっという間に過ぎちゃうんですよね。本当に楽しかったぁぁ半年ぶりの人にも会えたし時間が無い中、集まってくれてありがとう。優しいお気持ちが嬉しかったヨォ~元気をもらったし。またいっぱい話そうね!
   
   
    サービスショット(?)と・・・・・する♪(こんな人間なのだへへっ)
   

抗癌剤後生えた髪

2006年04月17日 20時13分41秒 | 乳がん2年生
    
ヘンテコな髪である(顔は無視するよぉ~に!!)抗癌剤で見事にツルツルだった頭に毛が生えてきてもう3ヶ月以上が過ぎた。生えてくるのね!と感心しきり。今では、「いろんな毛」も生えてきた。(きゃぁぁぁ~)昼○さんの頭髪はサラサラだったそうだが、私は 失敗したパーマのようなウネウネのチリチリである。(なんでじゃい?)癖毛だったけれど、これほどじゃあなかったゾォォ!海苔を張り付けたみたいだと言われた~。(だが、負けずに(誰に?)そのまんまで歩いている) 「毛の太さ」がね・・・平均じゃないのよ。「太」かったり「細」かったりしてこれは抗癌剤の副産物。日々生えて伸びる毛にバッチシ出てくるあたり「恐るべし」とうなずく。こんな髪質の毛はもちろん生まれて初めてであり、この抗癌剤の副作用がある毛先数cmをカットすれば良いのだろうが、長さもそれほど無いので美容室に行きたくとも躊躇してしまい、もてあましているのだ。そもそもカットしたら以前の髪に戻るんだという思い自体が、『思い込み』何じゃないかと最近不安がもたげるようになった。この先どうなるのやら。だが「毛が生えただけでもありがたいんじゃない?」とチョット(本当にチョット)だけ前髪が後退(天然)した社長に言われた。確かに!こんなチリチリ頭でも無いときに比べたら・・・生活向上よん。あると、ついつい「当たり前」になっちゃって、無い人の気持ちを逆撫でしちゃう。人間とは学習し復習し予習し、思い出す作業・反芻する作業も大切。大切。そんな時(頭)、今日は会社が取材された。最近注目される通信販売専門店としてだ 店長である私は、こんなヘンテコな頭(髪)で取材はされたくないので相方(社長)に全てを委ねて別室に引きこもる(爆笑)今のところ(暫くの間だズ~ット)取材は苦手である。社長殿、ご援助下さり感謝でござるゥゥ~にこにこ。

乳がん 2年生 2006.4/13(木)

2006年04月13日 12時43分07秒 | 乳がん2年生
2006.4/13(木)
今日から2年生の始まりだ! 気を引き締めて治療してもらいましょう♪
外来でお会いした人
14年乳がんと闘ってこられている方。某大学病院で乳がんの手術(当時では今よりももっと珍しい30才前半での乳がん)手術後再発 原因は化学療法が全くほどこされていなかったためだ! 当時彼女のお子さんは 8才 4才 3才!しかも母子家庭。その病院はなんて酷い病院なんだろう!その後、当病院にたどり着き当時の主治医と出会い、再発に対する治療に入る。彼女の当時の主治医は、検査・手術・治療の内容をみてあきれはて某大学病院の担当医(主治医)に連絡を取り抗議したそうだ。(偉い!! 医師が医師に抗議する何て凄いと思う)「どうして抗癌剤投与をしなかったのか!するべき状態じゃないか!」相手は自分の非を認めたそうだが、彼女の気持ちを思うと・・転移は 骨に。長い間歩けなかったそうだ、今でも杖が必要だったりする。次に 肺に。子宮に。リンパも腫れ他にも転移!何度も何度も入退院を繰り返したそうだ。浮腫も酷かった。以前は何倍にも腫れていたそうだ。浮腫になったら必ず冷やすのよ!と 教えてもらいました。その彼女と初めて出会ったのは私が抗癌剤入院をしていた時である。昨年だから2005.8月位だったかな?その当時、いつもの事ながら「3泊4日の抗ガン投与の旅」である。とても細くて本当に今にも折れそうなくらい細い姿が印象的な彼女だった。彼女の声は、肺や気管支の関係で絞り出すような細く空気が抜ける感じの声。年齢よりも上に見えていました(ゴメンネ!)いつものように外見全然病人に見えない私。カーテンフルオープン! ウエルカム!みなさん・・・の状態でリラックスしていると、当然の如く人と目が合います。そこですかさずご挨拶♪ 同じ乳がんのおかげで(?)沢山お話が出来ました。外見病人(再度ゴメンネ!)の彼女の『 心 』は、優しく!大きく!健全そのもの!当時の彼女は、もう片方の乳房に出来た癌が、皮膚を破って出てきた。それを取り除く手術で入院。検査、検査で、なかなか手術をしてくれないと「愚痴」をこぼしていた。「早くとっちゃいたいのに~」
「まぁまぁ・・・先生も考えているんだよぉ~ 体力も必要だからサ~!」「ムクさんはホントに体力ありそうだもんね」「ゴメンネ あるわよぉ~」笑いながらとんでもない話をしていました。短い時間だったけれど、何度もお互い泣きながら話せたことが距離をとっても縮めてくれた。今年2006年1月、肝臓に転移が発覚。前回(1月)は1㎝だったのに、今回(3月)は倍の2㎝になっていた。どうして何にもしてくれないの?彼女の、不安が伝わる・・・・ そうだよねちゃんと治療したいのに、期間を置くにも、どうして期間を置くのか、ちゃんと説明されて納得できていなければ、納得してない時間が過ぎていくのはものすごいストレスで不安だよね。彼女はこう言っていた「ちゃんと訊けばいいんだけど、そんなことじゃないんだよね・・・」彼女はわかっている!その上で悩んでいるのだ。こういう時は彼女の気持ちを受け止めるだけでいいんだと思う。ご家族の事にも悩まれていた。お子さんが3人。22才で今年の春就職のご長男を筆頭に、18才で専門学校入学のご長女。17才で高校生のご次男。この日はご長男の方とご一緒の外来。(いつもご長男とご一緒である)下の子 2人がちっとも理解していないのが悩みだそうだ。今の自分の危機的状況が理解されないのはとてもツライと言っていた・・・。身近な人、大切な人に自分が望んだように理解されないのは結構ツライんだよね。ましてや今の状況を考えるときっと伝えたいことが沢山あったと思う。自分が大変な状況であることを自分で説明するのは、つらい。日記形式みたいに何でも思ったことをノートに書き連ねてみるのはどうかな?と提案してみた。意外と、嫌なことも書いているうちに少しは楽になるかもしれないし・・・・。 
 ダメだ涙がとまらん。どんな癌にも効く薬はないのか
またこの日、初めてお会いした方で乳がんの手術で左乳房全摘後、乳がんの転移による8回の手術(肺・肺リンパ・リンパ腫・膵臓・子宮・右胸全摘)何年も続いた抗癌剤治療を乗り越えてきた方がいました。今回、肝臓と大腸に転移がみられたとのこと。「先生に抗癌剤のお話をしいていただいたけれどネ もういっぱい抗癌剤を身体にもらっているからいらないわぁって申し上げたら、先生は笑っていらっしゃったわぁ」明るくジョークを飛ばしていらっしゃいました。
以前にも書いた両方の胸とリンパを同時手術された方が、抗ガン剤投与中に白血球が異常に低くなった(なんと800を切った)ため、毎日の通院をしていらっしゃいました。体中にオデキや、口内炎。眼球出血(目が真っ赤!)本当は入院した方が良いのだそうが・・・家が一番と、通院を希望されたそうだ。土日も関係なく通院して数値をみて白血球をあげる薬を投与したり。「先生がちゃんと準備してくれて、フリーパスなんだよ」毎日ちゃんと診てもらえると安心だよね。よかったね。心配事は少ない方が良いモンね。でも彼女の採血は両方のリンパ節を郭清しているため毎回足で採血しているのだ。
  わたしは彼女たちに言われた
  まだ!まだ!やっと1年じゃない。しっかり生きなさい!
  また、噛み締めるモノが増えた!

乳がん1年生/成績表

2006年04月07日 08時06分51秒 | 乳がん1年生
 乳がん1年生の成績表(2006.4/7)
2005.4/13(水)主治医からの癌告知
(これが 乳がんへの入学だった!)
だからこの4月13日が 私の乳がんの日。
(だからもう少しの間だけ私は乳がん1年生なのよ~)
2005.4/15(金)に退院して
     4/16(土)に花見をしていた
自分が乳がんであることを噛み締めながらの花見だった 桜の花が散るたびに 来年も生きてこの景色が観られるのかしらと 涙がポッロポロ落ちてシートの上で音をたてていた 乳がんがどういうモノかも知らない 癌だと聞いただけで死んでしまうんじゃないかとさえ思っていた
もう一回手術をしなくてはならない・・・と聞いて
しなかったらどうなるの? ・・・漠然と思っていた
不安×100万倍って感じ
あの時・・・得体の知れないモノの陰に怯えるのはイヤだと思った
なんだかわからない事に不安を抱えるのは性に合わない
一生懸命ツッパる。しっかりしよう
社長が泣いたと聞いた・・・
近所の豚カツ屋で人目もはばからずに泣いたと後日聞いた
妙に嬉しかった・・・
私の命を惜しんでくれる人がいるとわかると妙な安心感がある
だからかなこれが生きる力になるんだと思った
独りじゃない  だから大丈夫
どんなことがあっても前に 前に歩こう!
・・・去年の花見は『決心』の花見でした。

そして今年2006.4/4(火)会社で
          4/6(木)母とメグと花見が出来た。
どちらも、涙のない 笑顔の絶えない花見になった。
昨年のことを話しながら手弁当を食べる
ガンバって良かったっと思った
( 好物てんこ盛りだし、和菓子も食べたし腹の方も満足でした)
自分のために 周りの人のために
真剣に考え、逃げないで良かったと
・・・噛み締めることが出来た・・・。
仲間がいる 母が生きている
どんなことがあっても私は私らしく生きることが出来る。それはきっと、弱くて脆くてひねくれて沢山嫌になっちゃう自分を視て、それでも自分をやめようと思わなかったから。最後の最後で私だったから。失敗しても、恥をかいても、負けても、狡いことをしても、決してゆるがない 私は自分を見捨てない  私は私を愛している

絵門ゆう子さんが亡くなった4月3日午後10時43分 享年49歳 (聖路加国際病院)彼女は本当にみんなに「生きて欲しい」と願っていたんだと思う。「生きる」という言葉の中に沢山の意味や思いを伝えたくて生きた彼女に心からご冥福をお祈りいたします。

乳がんになって色んな事に撃ち当たった。それでも・更に・大変な思いを抱えている人がいるのだとわかった。人は人 自分は自分だよ。その事を理解した上での気持。その中で相手を大切に思う気持ちを大事にしたい もしも 私の気持ちが閉じこもったままなら きっと こんな風に思えなかったに違いない。
主治医に
4階の病棟スタッフに
同室・別室の患者の方々に感謝。感謝しています。
私は みんなからエールをもらう がんばって!と言ってくれる 頑張らなくていいよとも言ってくれる 本当にありがたい 私も見習おう!
人に理解されず苦悩することもあった・いや・今でもある・・きっとこれから先もあるだろうし・・・そのたんびに悩むと思う。気持がささくれる時もある。でも それを・・・嫌うのはやめよう・・・生きていれば起きうることだ。癌に限った事じゃない。
私にどう接していいか判らない人に対して
    ・・・私は優しくなかったと思う
どんなことがあっても   
相手を大切に思う気持ちが私の中にちゃんとあれば
勇気を出して努力ができる
その気持の源は「わかちあいたい」と思う温かい想いからなのだから。判らないことさえも分かち合えることが出来る!!!!! 今・・・やっと 今・・・やっと 心から思える こうして書くことが出来る。そして、振り返る度に思い出しまた立ち返る心を持ちたいと想います。

追伸ボ・・・
今 これを読んでくれているあなたに!
そして 関わってくれた方々に 感謝の気持ちを!
そしてこれからも宜しく頼みます!

自己採点・・・・・ 1年間よく頑張りました 花◎

4/4・・・・・・社長がお花見弁当を作ってくれた! 感慨深い花見をした。
      
4/6・・・・・・母とメグと3人(?)で花見。 ゆっくり歩く 涙が出た。
      
守りたい 大切な人をこの手で守りたい 愛している

3/23(木)外科外来(乳がん)

2006年04月03日 16時49分41秒 | 乳がん1年生
ゾラディックス(乳がんのホルモン治療)10回目

「今日はここ(腹右)にして下さい」 自分で打つ箇所を指定する。
麻酔してから即注射!
最初の頃は『えっ?もうですかぁぁ?』ビックリしてたけどもう慣れた。
アンプルの写真を撮ろう撮ろうと思いながらなかなか実現ならず!
                      (いっつも忘れるのだぁ~)
◆1.「HER2」の検査結果♪「0」でした(ホッ)
=先生の説明=
「予後因子の一つではあるが全部の人が再発・転移するわけじゃないからね 」
・・・・・・・・・確かにそうなんだけどね・・・先生・・・ 
数値に一喜一憂してしまうのは「心配」があったからなんだなぁ~
まだまだ修行が足りんのかなぁ!
それでも自分の事を「把握」しておくのは大切!だと今回も実感いたしました。

◆2.「HER2」について もう一度教えて下さい。♪
◇細胞の増殖の過程で重要な役割を果たす「HER2(ハーツー)受容体」が
異常に発現しているか否かを検査←どのような検査方法でハーツー調べているの?

反応する試薬をスライスした病片にかけ、出てきた色素で判断
青0  オレンジ+1  赤+2  茶+3

主観的な要素もあるがだいたいこんな感じで判別するそうだ(ちなみに私は青)
「触手が出て・・・」なんて書いてあったので
妄想としてニョロニョロしたモノが観られるのでは?・・・と
                      思っていたが違っていました。
提示された診断結果表には画像も添付されていたので分かり易かったです。

◇先生が説明で使用するのはどれ?
 特殊なたんぱく質(ハーツー蛋白)
 HER2受容体
 ハーツー (←これ)
◆3.8/29以降の白血球の数値♪
     ありがとうございます。確かにいただきました!
◆4.腫瘍マーカーの数値は?♪
   「ちょっと高いけど、右肩上がりでなければ大丈夫ですからね」ホッ