気まぐれ散歩!

= 家までの距離が遠く感じる =

😎   さくらの日  😎

2024-03-27 09:11:40 | 出来事
タイトル画は青梅市梅岩寺しだれざくら


さくらの日(3月27日 記念日)

東京都千代田区永田町に本部を置く公益財団法人「日本さくらの会」が1992年(平成4年)に制定
日付は「3×9(さくら)=27」の語呂合わせと
七十二候の一つ「桜始開」(さくらはじめてひらく)が重なる時期であることから

日本の歴史や文化
風土と深く関わってきた「さくら」を通して
日本の自然や文化について、国民の関心を深めることが目的
上野恩賜公園(うえの桜まつり)

日本さくらの会について
同会は
1964年(昭和39年)に設立して以来
宝くじの社会貢献広報事業の助成を受け
「宝くじ桜」配布事業を始めとして
様々なさくら植樹事業を実施してきた
現在までに全国の公園
河川
道路沿線
学校
公共施設周辺などに約300万本のさくらの植樹を行っている

また
日本のさくらを守り育てるため
「さくら名所100選」の選定や
「さくら名木・巨木概況調査」
肥料・樹勢回復資材の頒布を実施するなど
さくら名所の保全や名木・巨木の保存
稀少品種の育成に努めている
その他
「さくら祭り」や「さくら植樹式」に出席する「日本さくらの女王」の選出や
その「さくらの女王」を通じての国際交流やさくらを海外に寄贈するなど、さくらを通じた国際・文化交流事業を実施している

日本さくらの会


🪩 年寄りの冷や水 🪩


ながく寒い春を待ちわびているものは
なにも人間だけでなく
草木全般とすべての生き物である
その多くは子孫繁栄という重要な役割を背負っているからである
釈迦の誕生日である4月8日には学校の入学式が行われ
新しい学校生活が始まります
小学生最後(?)の孫がランドセルを背負って
通学する光景が見えるようです


😎 電卓の日 😎

2024-03-20 10:26:14 | 出来事
 昭和の発明で最たるものは電子計算機


1964年昭和39年3月
日本初の電子式卓上計算機の発売(シャープ)

~応用製品~

シャープ(当時は早川電機)が1964年3月に発表したわが国最初の電卓CS-10Aは、世界で最初のオールトランジスタ型の電卓といわれている
価格は53万5000円と車が買えるほど高価なもので
重量も25kgあった
 CS-10Aはトランジスタを530個
ダイオードを2300個使用している

昭和35年に設立された日本事務機械工業会(現:一般社団法人ビジネス機械・情報システム産業協会)が制定
昭和49年にエレクトロニクス技術を駆使した日本の電子式卓上計算機(略称:電卓)の生産数量が年間1,000万台を突破し
世界一になったことを記念したもの
また
この年は国産の電卓が発売されてちょうど10年目の節目にも当たる
電卓(シャープ CS-S952C-x)

画像元:シャープ
電卓は東京オリンピックが開催された年の1964年(昭和39年)3月に早川電機工業株式会社(現:シャープ株式会社)が国産初の電卓「CS-10A」を発表し
6月に価格53万5,000円で発売した
この電卓は当時の車が買えるほど高価なものであった
「CS-10A」

画像元:コンピュータ博物館
数字入力はフルキー式10桁、表示はニキシ管による20桁表示、ゲルマニウム・トランジスタ530個とダイオード2,300個を含む約4,000点の部品からなり
大きさは420×440×250mmで
重量は25kgもあった
記念日の日付については
早川電機が「CS-10A」を発表したとされる1964年(昭和39年)3月18日に由来して
多くの記念日がある3月の中でも
市場の隆盛を象徴する春の到来を意味し
しかも覚えやすリンク:ビジネス機械・情報システム産業協会い日ということで3月20日に設定された


🚜 年寄りの冷や水 🚜


電子計算器が発売された当初は
高価なものでした
カシオ計算機が大量生産に成功してからは
庶民の手に入るようになった
ソロバンは急速に数を減らして
レジスターも最新のものに変更となった
工業系の学科に計算尺という科目があったが
次第にその姿を見なくなった
今日はお彼岸の中日おはぎでも食べましょう


🤣 神奈川立庁記念日 🤣

2024-03-19 09:53:20 | 出来事



立庁記念日(神奈川県)
(3月19日 記念日)
1868年(慶応4年)のこの日
明治政府が幕府から接収した「神奈川奉行所」が「横浜裁判所」に改称された
この横浜裁判所は
現在の裁判所とは異なり
司法だけでなく通関、税務、治安取り締まり、一般行政も受け持ち、現在の県庁に相当するものであることから、神奈川県庁ではこの日を「立庁記念日」としている
その後
「横浜裁判所」は維新政府の混乱期の中で、同年4月に「神奈川裁判所」、さらに6月には「神奈川府」に改称され、1868年(明治元年)9月21日に「神奈川県」に改称された
「かながわ」の名は、昔、「神奈河」「神名川」「上無川」などとも書かれ、武蔵国久良岐郡(現:横浜市神奈川区)の地域をいい、古くから陸上・海上交通の重要なところであった
横浜開港に伴い、1859年(安政6年)に神奈川奉行所が置かれたことにより、上記のような経緯で「神奈川」が県名となった
神奈川奉行所が置かれた場所である横浜市西区紅葉ケ丘の神奈川県立青少年センター前には「神奈川奉行所跡」の石碑が建てられている


その後三多摩については
1893(明治 26)年に
西多摩・南多摩・ 北多摩の三郡が神奈川県から東京府に移管され た
移管後の多摩は、東京の発展とともに成長 し
交通の発達や織物産業の隆盛などと合わせ
 徐々に都市化が進行していった 

三多摩の変遷

📸 年寄りの冷や水 📸


130年も前に廃藩置県により東京都に移管され
今日まで至っている
西寄りに行くほど面積が広くなり
行政サービスの低下が懸念される以外は
差し迫った
格差等は
感じ取れない






👍 精霊の日とは 👍 

2024-03-18 09:03:40 | 出来事



精霊の日(3月18日 記念日)

『万葉集』を代表する歌人の柿本人麻呂
女流歌人の和泉式部と小野小町
この3人の忌日がこの日であると古くから伝えられていることから

「精霊」は「せいれい」とも読むが
この場合は「しょうりょう」と読み
死者の霊魂を意味する言葉である
この日前後に亡くなった人の霊を追悼する習わしがあったとされている
精霊について
精霊(しょうりょう)は
7月15日または8月15日の「お盆」に迎え祀る先祖の霊魂(祖霊)であり
盆様・先祖様などの名もある
天寿をまっとうして普通に死んだ者の霊は
死後33年または50年の弔い上げを終わると
死体から分離して清らかな霊質(祖霊)となり
正月・盆・農耕儀式の折々に子孫のもとを訪れて見守ってくれるものと考えられた
盆の期間中には
故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として
「精霊馬(しょうりょううま)」と呼ばれるキュウリやナスで作る馬や牛の動物を用意することがある
精霊馬(馬と牛)
また
盆の頃に飛ぶ赤とんぼを「精霊とんぼ」ともいって
先祖様がこのとんぼに乗って帰ってくるという地方もある
一般には盆に入る夕方に門前で迎え火を焚いて精霊を迎える形が多く
盆の終わる日には門前や川
海浜などで送り火を焚いて精霊が帰るのを送る「精霊送り」が行われる


🤣 年寄りの冷や水 🤣


昔・田舎の裏山の裾野には鎮座した墓石が50近くあり
盆が近づくと墓の周りの雑木の伐採と掃除を
強いられ朴木の葉で代用した皿に
お供えを準備して
精霊を迎えたものでした
この作業が子供の私には大仕事でした
何年かして先祖代々の墓にまとめることとなり
子供の労力は俄然と縮小した
当時の住職の話を聴くと墓の大半は
行路病人などの行き倒れによる子供であった
聴く
山の上には最上33観音の第一番
観音寺があった