シルクロードの日
明治33年のこの日
スウェーデンの地理学者
で
探検家の
スヴェン・ヘディンによって
廃虚になっていたシルクロードの古代都市
楼蘭(ろうらん)
が発見された
中央アジア・タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部に
かつて存在した塩湖で
「さまよえる湖」
として知られる
シルクロードの要衝として栄えたが
4世紀頃からロプノールが
干上がるのと同じくして
国力も衰えやがて砂漠に呑み込まれた
「シルクロード」
(絹の道)とは
古代の中国と西洋を結んだ歴史的な交易路を指す呼称である
絹が中国側の最も重要な交易品であり
この道を通って西方に運ばれたことから名付けられた
∞ 日本の絹の道 ∞
八王子の中心から鑓水を抜け横浜へ至る浜街道は
輸出用の生糸の流通路となり
「絹の道」
と呼ばれるよ うになりました
安政の横浜開港により
谷戸に囲まれ農業 や養蚕などを生業としていた鑓水は
横浜から40キロメートルの圏内に位置すること から
西洋人から注目されまし た
明治時代に入り
八王子と横浜を結ぶ浜街道は
生 糸商人や西洋人が行き来するようになりました
南多摩郡 鑓水村の商人は
生糸の売買で大きな富を得て
沿道の 大塚山に道了堂を建てたり
諏訪神社に石燈籠を寄進し たりするなど
文化的な功績も残しました
さらに
生糸 商人が横浜で見聞きした
西洋の新しい文化や横浜での出 来事を鑓水から
八王子の中心部へ伝えられ
生糸を介して西洋の文化と日本文化
の
交流が始まったと言われている
日本版シルクロード
年寄りの記憶
昭和20年代に東北地方でも
養蚕の記憶がある
小学校低学年の時
縁側には
養蚕のための棚があり
餌である桑の
葉を
『かいこ』にあげたものでした
夏場の暑い時
蚕に手が触れると
ひゃっと
冷たく感じられたものです
今 と なっては
遠い昔の
話になります