安田よしひろ 駅立ちブログ!

日本の安寧。未来への責任。次世代の幸せを憂い、創る。

2.社会構造と健康 ③

2010年04月07日 | 政治
 つい最近までの日本の道徳や社会的価値はおよそこのように理解している。戦後の日本では官許の価値基準として,忠君愛国とその補強材として孝行があり,人々の心の中の事実は別として,表向きの価値観は一応統一されていた。そしてその社会道徳的価値感は戦後の経済成長には都合よく会社や仕事に対する価値観へと摩り替えられ,産業的・物質的価値観へと転換していった。そのように培われた経済資本を軸とした価値観は現代の日本では未だに大きな影響力を持っているに違いない。資本主義と同調した急激な進展が,システムへの依存を強制し,現代人に何の疑問も抱かせぬまま,社会の文化・風景として定着させ,心や体を蝕み,快を求めるようにとかきたてる自然の衝動を産業社会の要請に服従させるようにしたのである。
 そのように社会を見てみると,我々は現代社会の道徳や労働倫理の奴隷になったとも解釈できる。「身も心も会社に囲い込まれていて,自立心のない人間を「家畜」ならぬ「社蓄」という。そんな著書があります。会社にエサを与えられて飼われているうちに野生を失ったサラリーマンのことである。企業における徹底した効率化・合理化(生産性の向上)の追求は,人員削減と労働の管理強化へつながってきており,厚労省が行った「労働者健康状況調査」でも,自分の健康状態につい何らかの自覚症状のある労働者の割合は8割を越え、自分の仕事や職業生活に関して強い不安、悩み、ストレスが「ある」とする労働者の割合はおよそ6割となっている。痛みや不快感はあきらかに身体の異常の信号であるはずであるのにそれを我慢しているのは,身体の要請よりも社会の要請に従っているからである。生身の人間が耐え得るあらゆる許容範囲を、社会はどのように織り込んでいくのであろうか。