所沢市議会6月定例会 最終日に私が賛成の討論をしたものの中で、議案第69号「所沢市地域がつながる元気な自治会等応援条例制定について」の部分を抜粋して報告します。
所沢市の前期基本計画のコミュニティ推進に関する課題には、自治会・町内会等の地縁的コミュニティ組織とボランティアやNPO等のテーマ型コミュニティ団体との連携による取り組みを進めると、掲げられています。この条例は本市の自治に関する基本的規範である自治基本条例に定める地域コミュニティのうち、自治会等に関し、そのあり方や市の責務等についての考え方を具現化したものです。では、以下賛成の理由を申し上げます。
日本では介護保険制度がない時代、そんな高度な制度がつくれなかった時代、日本の政を司るもの達は、生産力のない年寄りを大事にするために、道徳を普及させることによって、親や年寄りを大事にする世の中にしてきたのかもしれません。食べ物がなく飢え死にしていく時代、犯罪が多い世の中では、近隣での助け合いを文化としてきたはずです。こうした風土によって培われてきたイエ、ムラ、カイシャの「縁」に象徴される典型的な日本型社会は、「世間体」「プライベート」「嫁・姑」等の束縛からの逃れようとする個人を重要視する思想と対立をしながらも、戦後の経済成長期までは根強く保たれていました。
しかし90年代に入り、高齢化社会の進展、不景気による若者の就職難、都市型生活へのあこがれ等の影響を受け「個人」を重視した生き方が徐々に増えていき、「孤独」「孤立」「無縁」といったキーワードが日本を席巻していました。そんな時代に、東日本大震災が起こり、改めて自然への畏敬と近所の助け合いの重要性が再認識され、国民の意識に大きな変化をもたらしました。人間の責務のすべてが本人の意思の産物ではないことを現在の日本人も少しずつ考え始めたのだと思いました。
少し話が変わりますが、私達の地域では、人が亡くなった時の仮出棺の際には近所の方々が集まり手を合わせる門送りという風習がかろうじて残っています。以前に、私が配食サービスの担当をしていた一人暮らしのおばあちゃんが亡くなった時に、近所の方が門送りをしてくれていたことが忘れられません。門送りの風習は行政サービスでは補えないものだと感じたものでした。
また少し違う話ですが、私の父が亡くなった時に、一緒に涙を流してくれた看護師さんと冷静な顔の看護師さんがいらっしゃいました。毎日の仕事ですから医者や斎場の職員は基本的には泣いていられません。ご遺族のように悲しんでいたら仕事にならないので、看護師も泣かなくなるのだと感じました。概して専門家や職員は泣かなくなることも理解した記憶があります。
さらに、市内全域に起こるような大規模な災害時には市の職員や消防隊は基本的にすぐには助けには来ないという心構えをしておくべきだと思います。また、警察官や救急車の数、病院や介護施設の数は安心の一部分であることを忘れてはいけません。行政サービスでは作り出せない「そこはかとなく感じることのできる安心感」や「人間の尊厳」は、心を寄せてくれる人が近隣の方々の中にどれほどいるかにも関わってくるものだと私は信じています。
そういった活動は、なにも自治会や町内会でなくても、ボランティアやNPOで補えば良いという意見を言う方がいらっしゃると思います。10年ほど前から、所沢市では社協などを中心に地域福祉ネットワーク事業が展開されています。ご尽力頂いた多くの方々には感謝を申し上げます。しかし、地域福祉ネットワークだけで市内全域の福祉の補完的サービスを賄えるような様子は残念ながら伺えません。
また、地域福祉計画の理念には、地域福祉推進のために地域の限られた資源を有効に活用しながらその水準を上げていくことが求められています。人々が個々のニーズを充足するため、問題を解決するために利用できる有形無形のあらゆるものを「社会資源」と言いますが、地域福祉に関する多くの社会資源は、それぞれの地域事情や文化に合わせ、有機的なつながりを持ってコミュニティを形成していくために最大限に活用されるべきです。
そのような理由で、所沢市は引き続き、テーマ型に力を注ぎながらも、地域で中心的な役割を担う自治会・町内会をはじめとする地域のコミュニティ団体の活動に対し、側面からの支援を強化することは非常に意義のあることだと思います。介護の要支援サービスが市町村の要件になってくる時代に、そこはかとない安心感を地域で紡ぎだすためにも、まだまだ地縁的コミュニティを衰退させる訳にはいかないと私は考えています。
強制的に加入させられるといったご意見もありますが、自治会等への加入や参加は、強制されるものでないことは言うまでもありません。条文の随所に地域住民の自主的、主体的な自治会等への加入及び参加と表現されており、地域住民の自発的意思を前提とするものであることは明確です。
最後になりますが、我々はみな、特定の社会的アイデンティティの担い手として自分の置かれた状況に対処しなければなりません。私達は皆、ある人の息子や娘であり、この国土と自然の中で培われてきた言葉や文化の上に立ち、このまちで知り合った友人や出来事に影響を受けて育ち、そして命を未来につないでいくという大きな物語の中で暮らしています。
民主主義の熟度を上げるには、自分本位の発想から共通の善に向かってみんなで目を向けることで達成されるものと信じています。どうか伝統的で地域の中心的な役割を担ってきた自治会・町内会を守り、地域の縁を守ろうとする活動を推進するこの条例に賛同して頂きたく願いを込めまして、賛成討論とさせて頂きます。
所沢市の前期基本計画のコミュニティ推進に関する課題には、自治会・町内会等の地縁的コミュニティ組織とボランティアやNPO等のテーマ型コミュニティ団体との連携による取り組みを進めると、掲げられています。この条例は本市の自治に関する基本的規範である自治基本条例に定める地域コミュニティのうち、自治会等に関し、そのあり方や市の責務等についての考え方を具現化したものです。では、以下賛成の理由を申し上げます。
日本では介護保険制度がない時代、そんな高度な制度がつくれなかった時代、日本の政を司るもの達は、生産力のない年寄りを大事にするために、道徳を普及させることによって、親や年寄りを大事にする世の中にしてきたのかもしれません。食べ物がなく飢え死にしていく時代、犯罪が多い世の中では、近隣での助け合いを文化としてきたはずです。こうした風土によって培われてきたイエ、ムラ、カイシャの「縁」に象徴される典型的な日本型社会は、「世間体」「プライベート」「嫁・姑」等の束縛からの逃れようとする個人を重要視する思想と対立をしながらも、戦後の経済成長期までは根強く保たれていました。
しかし90年代に入り、高齢化社会の進展、不景気による若者の就職難、都市型生活へのあこがれ等の影響を受け「個人」を重視した生き方が徐々に増えていき、「孤独」「孤立」「無縁」といったキーワードが日本を席巻していました。そんな時代に、東日本大震災が起こり、改めて自然への畏敬と近所の助け合いの重要性が再認識され、国民の意識に大きな変化をもたらしました。人間の責務のすべてが本人の意思の産物ではないことを現在の日本人も少しずつ考え始めたのだと思いました。
少し話が変わりますが、私達の地域では、人が亡くなった時の仮出棺の際には近所の方々が集まり手を合わせる門送りという風習がかろうじて残っています。以前に、私が配食サービスの担当をしていた一人暮らしのおばあちゃんが亡くなった時に、近所の方が門送りをしてくれていたことが忘れられません。門送りの風習は行政サービスでは補えないものだと感じたものでした。
また少し違う話ですが、私の父が亡くなった時に、一緒に涙を流してくれた看護師さんと冷静な顔の看護師さんがいらっしゃいました。毎日の仕事ですから医者や斎場の職員は基本的には泣いていられません。ご遺族のように悲しんでいたら仕事にならないので、看護師も泣かなくなるのだと感じました。概して専門家や職員は泣かなくなることも理解した記憶があります。
さらに、市内全域に起こるような大規模な災害時には市の職員や消防隊は基本的にすぐには助けには来ないという心構えをしておくべきだと思います。また、警察官や救急車の数、病院や介護施設の数は安心の一部分であることを忘れてはいけません。行政サービスでは作り出せない「そこはかとなく感じることのできる安心感」や「人間の尊厳」は、心を寄せてくれる人が近隣の方々の中にどれほどいるかにも関わってくるものだと私は信じています。
そういった活動は、なにも自治会や町内会でなくても、ボランティアやNPOで補えば良いという意見を言う方がいらっしゃると思います。10年ほど前から、所沢市では社協などを中心に地域福祉ネットワーク事業が展開されています。ご尽力頂いた多くの方々には感謝を申し上げます。しかし、地域福祉ネットワークだけで市内全域の福祉の補完的サービスを賄えるような様子は残念ながら伺えません。
また、地域福祉計画の理念には、地域福祉推進のために地域の限られた資源を有効に活用しながらその水準を上げていくことが求められています。人々が個々のニーズを充足するため、問題を解決するために利用できる有形無形のあらゆるものを「社会資源」と言いますが、地域福祉に関する多くの社会資源は、それぞれの地域事情や文化に合わせ、有機的なつながりを持ってコミュニティを形成していくために最大限に活用されるべきです。
そのような理由で、所沢市は引き続き、テーマ型に力を注ぎながらも、地域で中心的な役割を担う自治会・町内会をはじめとする地域のコミュニティ団体の活動に対し、側面からの支援を強化することは非常に意義のあることだと思います。介護の要支援サービスが市町村の要件になってくる時代に、そこはかとない安心感を地域で紡ぎだすためにも、まだまだ地縁的コミュニティを衰退させる訳にはいかないと私は考えています。
強制的に加入させられるといったご意見もありますが、自治会等への加入や参加は、強制されるものでないことは言うまでもありません。条文の随所に地域住民の自主的、主体的な自治会等への加入及び参加と表現されており、地域住民の自発的意思を前提とするものであることは明確です。
最後になりますが、我々はみな、特定の社会的アイデンティティの担い手として自分の置かれた状況に対処しなければなりません。私達は皆、ある人の息子や娘であり、この国土と自然の中で培われてきた言葉や文化の上に立ち、このまちで知り合った友人や出来事に影響を受けて育ち、そして命を未来につないでいくという大きな物語の中で暮らしています。
民主主義の熟度を上げるには、自分本位の発想から共通の善に向かってみんなで目を向けることで達成されるものと信じています。どうか伝統的で地域の中心的な役割を担ってきた自治会・町内会を守り、地域の縁を守ろうとする活動を推進するこの条例に賛同して頂きたく願いを込めまして、賛成討論とさせて頂きます。
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