《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
化粧坂切り通しを経て北西へと尾根道を辿ると天神山に出られることは以前にも述べた。
天神山は、中世末期には北条氏の砦とされていたようだ。
旗立山に比較して少し高い。
鎌倉の西へと目を光らせる場としては申し分ない。
旗立山も同様であろう。
源頼義や義家が奥州へ出兵した際には、当然のこと、この山にも白旗が立てられたと思う。
かなり目立つはずだ。
東国を支配しようとした源氏が、このような恰好の場を利用しないはずがない。
陽が射し込んできた頃。