石段からギリギリ許されたお猿畠の写真。
無断で畑に入られては困る。もちろんだ。
畑へのこの坂道はかなり急で、通うのは大変だろうと思う。
畑も狭い平場が数段。
大切岸に連なるこの空間遺跡、環境遺跡を守るために耕しているように感じられる。
石段からギリギリ許されたお猿畠の写真。
無断で畑に入られては困る。もちろんだ。
畑へのこの坂道はかなり急で、通うのは大変だろうと思う。
畑も狭い平場が数段。
大切岸に連なるこの空間遺跡、環境遺跡を守るために耕しているように感じられる。
法性寺の東隣の谷戸については、未だ宅地化されていないところが多く、谷戸を知る上でとても参考になると思う。
谷戸の入口辺りに池がある。
池の中に電柱が取り残されているのが不思議。
電柱のあったところが池になったと考えればいいのだが、明治15年の地図を見ると、すでに池があるのだ。
池の話はそこまでにして、谷戸を詰めるとお猿畠に至る。
以前、お猿畠の撮影は、やんわりと断られたので別の場所から眺める。
写真はお猿畠へと続く石段。
苔で滑るから気を付けて・・・。
山裾の一部を掘削して平場を設け、神社を建てている。
今までいくつかの神社を歩いてきたが、いずれも同じだ。
多くがその横から尾根筋を経て山頂に抜けることが可能だ。
この八雲神社は、背後の竹林が藪化している。
十数年ほど前、山頂からの踏み分け道を辿って降りようと試みたが、細竹の中に紛れ込み、身動きができなくなったことがある。
山の上まで戻るのも癪だからと、竹の隙間を埃だらけになりながらも降りてきた。
出たところがこの八雲神社の裏であった。
方向をちょっと間違えると円久寺裏の湿地の谷戸に出てしまう。
円久寺裏の谷戸
円久寺の裏手は殿入と言って北条政村の別邸があった谷戸。
円久寺の西の山襞に八雲神社がある。
子守神社とは向かい合っているが、偶然であろう。
写真はそのお正月の風景。
子守神社もそうだが、近隣の鎮守様、といった風情。
地域と一体となっている。
写真はいずれも神社の横から尾根へと向かう踏み分け道
鎌倉石でできた小さな祠などがある
子守神社がある山襞の西側
宅地化されて家が建ち並んでいるが、すぐ隣はひな壇状の平場が遺されたまま。
子守神社の向かいは円久寺のある峯山の辺り。朝陽が射しはじめた。
鋼材むき出しのままの手すり金具は無粋だが、遠く見通せて気持ちが良い。
写ってはいないが右側が竹林で、その木々を透かして常盤砦が見える。