声もなく 香もなく 常に天地は 書かざる経を 繰り返しつつ
→ 二宮さんの名句だそうだ。
先週稲刈りが終わった。 5月から始まった田んぼの水管理も同時に終わりを告げた。
嬉しいような、悲しいような。
水路が溢れてどんどん水が田んぼに入ってきていたあの朝
上の田から下の田へ、モグラの穴だろうか、水が漏れてきたあの日々
畦草が取入れ口に詰まり干からびら田になったあの日々
雑草が増え、除草剤をやったこと イナゴが多量に発生し消毒したあの日
蛇が出たことも。 もののけが通った足跡があったことも。
スズメ追いのギンギラテープがちぎれて道にふわふわ出ていたことも。
稲が倒れ何とか食い止めようと朝露を払っていたあの日々
雨の中の稲刈り、はぜ掛け。
全てはいい思い出となった。
百姓は大変ぢゃ。 腰は痛いし、金にはならんし、苦労ばかり
この田んぼも何年後かには荒れ地になるだろう。 上の田んぼのように。
どこもかしこも20年後にはアカシヤやカヤなど茂る荒れ地になろう。
日本中、どこでもこうなるんだろうな。
ただそれは、 早いか遅いかだけの違い
笑えるうちに笑っておけ、 いずれ 泣くときがくる
2025年問題、 日本が迎える超高齢化社会 おおぅ、クワバラ、桑原