Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

在日外国人

2019年02月01日 | 日記
 私の住む那須塩原市にはたくさんの工場があり、外国人の労働者の方々も働いています。インドなどアジアからの人々が多く、道を歩いている家族づれや、自転車で移動している外国人の方々を時折見かけますし、私たちの教会は日英同時通訳で礼拝をしているので、外国人の方々が日曜に来られています。

クリスマスの時に、あるインドの女性が教会で日本での生活のことを分かち合ってくれました。彼女は夫の仕事のため幼い子どもと共にやってきましたが、最初は生活に慣れるのが大変だったそうです。言葉、文化、食べ物、全てがインドと異なり、たくさんの不安と不便もあったそうです。生活のために彼女自身も日本で働きたいとも思っていましたが、それも難しく、また子どもを日本の幼稚園に入れたいとも考えましたが、保育費が高く、難しかったようで断念されたとのことです。日本では自分で思い描いていた生活の通りにいかなかったそうです。

しかし、彼女は神様が導いてくれるという信仰で、思い描いたこととは異なりましたが、それ以上に良い機会が与えられたと感謝していました。クリスマスの時期には教会のキャロリングに参加し、高齢者の施設を回って一緒に賛美歌を歌えたこと、定期的に教会でのランチや、その他の行事に参加することで本当に恵まれて、楽しい時を与えられたと神様が備えてくれた日本の教会に感謝していました。私たちも、彼らに日本での良い思い出ができてほしいと願っていましたので、神さまが彼女の家族を異国地にて支え、恵を与え、導いてきたかを実際聞くにつけ、神様は素晴らしい方だと思わされました。この家族はこの春に任期が終わりインドへ帰る予定です。

 私はアメリカに住んでいた時、現地の教会に通っていましたが、外国人である私に教会のアメリカ人の方々はとても親切にしてくれたことを思い出します。特に、アメリカではクリスマス、感謝祭など家族で集まる時期に、家族がアメリカにいない私のような外国人を食事によく招いてくれました。また教会の様々な行事、集会にも積極的に声をかけて誘ってくれたものです。私が単身で孤独に陥らずにアメリカで生活できたのは、このような教会の人々の支えによったことは今でも感謝しています。彼らは、聖書の教えに従って、人に親切にし、仕えるという良い行いをしてくれていたのです。

聖書には、外国の人で寄留している人の世話をしなさいという教えが昔からあります。なぜなら、イスラエル人の祖先が4千年くらい前に、エジプトで400年間寄留していたこともあり、祖国を離れ外国に住んでいる人々、孤児、未亡人(当時は夫に先立たれると生活ができなかった)の弱い立場を考慮し、良くしてあげなさいという教えでもあります。また、クリスチャンは、この世にあって寄留者、旅人のようであると聖書に記されています。なぜなら、この世ではなく天国が最終目的地なので、それにむけての旅路がこの世での生活であるからです。そのような前提で生きると、この世での生き方が自ずと変わってきます。この世での富や生活の豊かさに対する執着が減らされ、また今の困難な状況、苦しみがあっても、これだけではないという天での希望が今生きている人生をも支えてくれるからです。

現代の日本も、外国人の在住が増えてきています。周りにそのような方がいたら、親切にする機会を持てたらいいなあと思います。自分が以前してもらったからということだけでなく、自分もこの世では寄留者であり、神さまがその寄留者であるすべての人を愛し、生活を支えて下さっていることを覚え、人間同士も互いに助け合い、親切にしあう事、それが神様の私たちにしてほしいことだと信じます
 
 「(あなたがたの神である主は)みなし子とやもめのために正しいさばきを行い、また寄留の他国人を愛して、食物と着物を与えられるからである。それゆえ、あなたがたは寄留の他国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で寄留の他国人であった。」  申命記10:18~19