Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

パレスチナ問題

2021年07月11日 | 日記
 先日、テレビの番組で「パレスチナ紛争はなぜ起きているのか?」という内容が放映されていました。そのゲストの方々のコメントから推測すると、多くの日本人はパレスチナ問題についてあまり知らないし、エルサレムがどこにあるかさえしらないかもしれないと気がつきました。それは、日本とイスラエルはなんらかの関係があったとしても、そのことがクローズアップされていないからでしょう。その解説者は、パレスチナ紛争は「誰の土地か?」でアラブ人とユダヤ人が争っているとし、ユダヤ人にとっては「この土地は神様が我々に与えると約束した土地だ」と主張していると述べていました。

 また、アラブ人の中には、イスラエルと共存していこうという穏健派(東ヨルダン地区)と、ユダヤ人を必ず追い出すというガザ地区の過激派(ハマス)があり、何時も先制攻撃でロケットをイスラエルに打ち込んで、反撃をイスラエルから受けます。その結果民間人もまき沿いになり、「イスラエルの攻撃で子どもたちが殺された!」と世界にニュース発信し、同情を買い、同時にアラブ人の同胞たちへ、自分達過激派の存在意義をアピールしていると解説されていました。軍事的にハマスとイスラエル軍のレベルは、野球で言えば少年草野球チームと大リーグのチーム程差があると。ニュースだけを見ている人々は、「イスラエルは民間人を殺すなんて酷い」という印象を持ち、そもそもなぜそのような結果になっているかを知らないで、イスラエルだけを批判することになります。もちろん、軍事的にも政治的にも、全てイスラエルのしていることが正しいとは思いません。少なくとも、イスラエル国内にも、パレスチナ問題に関して穏健派と強硬派の政党もいて、実際やられたらやりかえしていて、平和的解決には至っていません。

 日本人は「ご先祖代々からの土地」として、特に地方では大切に守っている方が多いと思います。しかし、行政が道路を拡張するため、その先祖代々の土地を手放さなくてはならない場合もありますが、決して売らない所有者もいます。今、益子で農道だった道が両側の水田の部分が売られて、広い道路に工事がなされています。おそらく、益子駅とその周辺からちょっと離れた益子の道の駅につながる道を広げたいということで工事がなされていると推測しますが、農業を営む方々にとっては土地を手放すという犠牲が伴います。しかし、その広げられた道路の間に、新しい道路と道路の間に、細長く水田が残っている部分があります。そこは、なぜかは知りませんが、その部分だけ、所有者は土地を売らずに通して、協議の結果、そこを避けたまっすぐではない道路になったのだと思います。私はそこを見ると、パレスチナ問題を思い出します。(いささか飛躍しすぎ)

 誰でも、自分たちの持っているものを次の世代に残したいと思うものでしょう。それは良いことであります。しかしどんなに良いことも、そこに欲がからむと争いを引き起こします。私たちキリストを信じる者は、地上での土地は寄留の地であり、天国で、永遠に相続する場所が与えられることが、聖書にユダヤ人だけでなく、全てのキリストを信じる者に約束されていると信じています。ですから、あまり地上の所有に関してこだわらないよう、争わないよう、下記のみことばように、使徒パウロも聖書で勧めています。地上のことには、たとえ損することがあったとしても、なるべく最低限に関わり、その分、上にあるものにいつも心を留めたいと心がけたいと思います。上にあるものとは、キリストに関わること、つまり天の父なる神様の御心にそったことでしょう。そのためには、日々み言葉に触れ、み言葉を生活の中で適用していくことに心を配りたいと願います。また、日本人であっても信仰の目でみるとイスラエルは非常に自分達と関係のある国であり、現代においてこの国で起きていることが聖書に記されている事と直結するという、重要な国です。神様のご計画で起こされたイスラエル人(ユダヤ人)という民族、そして彼らに約束された祝福*が、イエス・キリストを通して全ての人におよぶという聖書の約束を信じる時、現実の歴史で起こってきたことが聖書の預言と重なって行き、また今後起こりそうなことも、ぼんやりとですが予想がつきます。すると不確かなことに対する恐れ、思い煩いが薄れていき、その分、神様に対する感謝、満ち足りた思いが与えられ、幸いです。

 かくいう私は日々、突発的なことが起き(仕事の性質上仕方がないのですが)、その対応に追われたり、思うように行かないことばかりで、計画したことも本当に成し遂げられるのかどうかも不明と、あくせくしているような者です。それでも、神様に助けを求め、計画したことも全て、どうなるかは神様に委ねて、神様の御心にそった一日一日を過ごしたいと祈り求めて行きたいと思います。

「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」コロサイ信徒への手紙3章1-2節


*創世記12章 1-3節「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」