先日、幼稚園の行事に参加していたとき、園の先生がおしゃべりをしている園児達に注意している様子が目にとまりました。「お話しを聞くときは、おしゃべりをしない、というお約束をしたよね。今は静かにしましょう!」先生たちは、園児たちと園生活の中で様々な「お約束」をしているようです。このように集団生活の中で幼い頃から、「約束を守ること」を教えられ、身につけていくことは、社会生活の基本となることなので、とても重要だと思いました。社会とは様々な契約から成り立ち、人々は互に法律の順守がなされるだろうという信頼関係が前提となり、法律を破れば罰則が科せられます。法律が伴わない、個人的な約束を取り交わしたとしても、それをお互い守ることが期待され、どちらかが破れば、両者の関係にひびが入ります。
聖書の神様は人と約束をする方です。しかし、最初に、人間を創造された時からこのかた、人間はいつも約束を守れず、その結果、人は生まれながらにして神様から断絶してしまっています。しかし、それでも神様はなんとか人との関わりを続けるために、その後様々な約束、戒めを預言者等を通して、まずはユダヤ民族に与えました。たとえば、たくさんある中で一番大事な戒めは「神を愛しなさい」*とされています。神の与えた戒めを守れば神は人を祝福される、しかし、守れなければ神の守りが伴わず、神の怒りをうけ、人は自分のしたことに対する責任をとらなければならず、自分が蒔いた種を痛い思いをして刈り取らなければなりません。神様は人間が平和に互いに尊重し合って生きれる様に、戒めを与え、それを守るようにと言われてきましたが、その約束がなかなか果たせないがゆえ、人間の悲しい戦争の歴史、互に傷つけあう社会が繰り返されてきていると言えるでしょう。
神様が与えた約束を守れない人間の救済措置として、人となってこの世に来てくださったのが、神の子であるイエス・キリストです。人が神様との約束を守れなくても、そのペナルティを人が支払うのではなく、代わりにすべてイエス様が十字架上で払う、罰を負うことにして、その結果、私達が犯した罪に対する刑罰はあったのにそれが帳消しにされ、私達人間はキリストのおかげで神様に赦され、新しい命が与えられるという、恵の約束、それがゴスペル:福音(良いしらせ)です。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」 (ヨハネ15:13) ここで「人」とはイエス様を指します、イエス様は私たちを友とみなして、友のためにご自分の命を捨ててくださったのです。そこまで私達を愛して下さっている。この大きな愛の約束は、ただこの救いを信じれば成立するのです。神を愛し、人を自分を愛するように愛しなさいという神様の戒めは、たくさんある戒めの中で最も大切で、他の全ての戒めはこれらにかかっているとイエス様は言われました。要は神様の戒めは愛で、見えない神を愛するというのは具体的にその戒めを守ることなのです。そしてキリストを信じれば、キリストによって示された愛によって私達の内側が変えられていき、私たちも神と人を愛せるように、聖霊の働きによって徐々に変えられていくという希望も聖書に記されています。だから、下記の聖書のことばのように、自分の力で守れなくて、ああ無理だと!その戒めを守ることが重荷とならないのです。すべてのことが恵として神様に用意され、私達が約束を守れるように助けて下さることを、日々感謝しつつ、賛美を捧げ、互いの平和のために祈っていきたいと思わされました。
「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。 」第一ヨハネの手紙5章3節(口語訳聖書)
*「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 マタイによる福音書22章36-40節
聖書の神様は人と約束をする方です。しかし、最初に、人間を創造された時からこのかた、人間はいつも約束を守れず、その結果、人は生まれながらにして神様から断絶してしまっています。しかし、それでも神様はなんとか人との関わりを続けるために、その後様々な約束、戒めを預言者等を通して、まずはユダヤ民族に与えました。たとえば、たくさんある中で一番大事な戒めは「神を愛しなさい」*とされています。神の与えた戒めを守れば神は人を祝福される、しかし、守れなければ神の守りが伴わず、神の怒りをうけ、人は自分のしたことに対する責任をとらなければならず、自分が蒔いた種を痛い思いをして刈り取らなければなりません。神様は人間が平和に互いに尊重し合って生きれる様に、戒めを与え、それを守るようにと言われてきましたが、その約束がなかなか果たせないがゆえ、人間の悲しい戦争の歴史、互に傷つけあう社会が繰り返されてきていると言えるでしょう。
神様が与えた約束を守れない人間の救済措置として、人となってこの世に来てくださったのが、神の子であるイエス・キリストです。人が神様との約束を守れなくても、そのペナルティを人が支払うのではなく、代わりにすべてイエス様が十字架上で払う、罰を負うことにして、その結果、私達が犯した罪に対する刑罰はあったのにそれが帳消しにされ、私達人間はキリストのおかげで神様に赦され、新しい命が与えられるという、恵の約束、それがゴスペル:福音(良いしらせ)です。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」 (ヨハネ15:13) ここで「人」とはイエス様を指します、イエス様は私たちを友とみなして、友のためにご自分の命を捨ててくださったのです。そこまで私達を愛して下さっている。この大きな愛の約束は、ただこの救いを信じれば成立するのです。神を愛し、人を自分を愛するように愛しなさいという神様の戒めは、たくさんある戒めの中で最も大切で、他の全ての戒めはこれらにかかっているとイエス様は言われました。要は神様の戒めは愛で、見えない神を愛するというのは具体的にその戒めを守ることなのです。そしてキリストを信じれば、キリストによって示された愛によって私達の内側が変えられていき、私たちも神と人を愛せるように、聖霊の働きによって徐々に変えられていくという希望も聖書に記されています。だから、下記の聖書のことばのように、自分の力で守れなくて、ああ無理だと!その戒めを守ることが重荷とならないのです。すべてのことが恵として神様に用意され、私達が約束を守れるように助けて下さることを、日々感謝しつつ、賛美を捧げ、互いの平和のために祈っていきたいと思わされました。
「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。 」第一ヨハネの手紙5章3節(口語訳聖書)
*「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 マタイによる福音書22章36-40節