Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

説明ではなく約束によって

2019年02月15日 | 日記
 昨日はある方のご主人の前夜式に参列しましたが、その方は牧師であり、自ら司式をなさっていました。故人の彼女の夫は62歳と若く、現役で働いている時に突然癌が発症し、4ヶ月で天国に行ってしまわれたそうです。牧師という職業は、お葬式の司式を執り行うことが仕事の一つで、私の夫も年に何度も司式をすることもあり、私もそれを手伝ってきましたが、牧師として、自分の配偶者のお葬式の司式をすることは何と辛いことでしょうか。それでも彼女は笑顔で、涙を見せることなく、福祉施設で利用者のために親身に働き続けた夫を尊敬していると、そして夫とは天国でいつか会えるという希望を話しておられました。私は、その彼女の司式する姿に心を打たれ、涙が頬をつたいました。私がこの式で出来る事は精一杯賛美歌を歌い、故人を天にお見送りすることでした。参列した多くの方が、彼女のメッセージに心を打たれたのではないでしょうか。多くの職場の方々が参列し、そこからすすり泣く声が聞こえました。

 彼女は、夫の病状について医者から余命3-4ヶ月と言われても、諦めずに壮絶な癌治療を続ける夫に付き添い、奇跡的に癒されるよう神様に皆で祈り続けたそうです。亡くなる前の晩、夫の最後の言葉が「大丈夫だよ、死なないから。。」だったそうです。危篤状態にありながら、明日の彼女の仕事(牧師として礼拝をおこなう)があるのをわかっていてか、今日はもう安心して帰ってと言うかの如く、彼女を見送ったそうです。それが夫の最後の優しい気遣いだったと。私は、彼女のご主人にお会いしたことはありませんが、きっと家族に対しても、仕事上でも優しい方だったのだろうと思いました。

 なぜご主人は「大丈夫だよ、死なないから」と言われたのでしょうか。クリスチャンの信仰では、人はこの肉体で一度は死にますが、それから天国に引っ越して生きると信じます。彼は「僕は死んでも、天国で生きているから、大丈夫だよ」という意味で、彼の信仰に基づいて言われたのだと思います。私たちは、天国に行ったことがないし、行って帰ってきた人に会った事がないですし、科学的にも人が天国で生きていることを証明することはできません。つまり、このことについて納得のいく説明を得ることはできません。しかし、私は説明ではなく、ただ、そのことを保証する神様の約束を信じ、また、このことを信じている人々が希望を持って前向きに生きている姿から、その証を得ています。

 神様の約束は「死んでも生きる」と聖書に記されいます。この不完全な不自由な体でなく、天で永遠に神様と共に生きられる。この約束を信じることにより、一時的に今は悲しいけれども、希望があり、悲しみを乗り越えられるのだと思います。この世だけの生に限定されないが故に、この世でも自由があります。このような命を与えてくれたイエス・キリストに感謝しつつ、この牧師さんのご家族と職場の方々の上に、神様の慰めが与えられますよう祈りたいと思います。

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」 ヨハネによる福音書11章26節