人は、その人に信仰心があるなしに関わらず、どんな時、祈る気持ちになるでしょうか。特に、特定の神様を信じていない人にとっては、人間の力、能力、方策、技能でもってしても、どうしようもない時、最後にすることかもしれません。「祈るほかない」と。現在の状況ですと、肉眼で見えないウィルスの脅威に対して、どんなにマスクをして消毒しても、誰が感染しているかわからない為、どこで感染してしまうか見極めることができない、100%防御率がありません。そして、その治療薬、ワクチンもまだ開発されるには時間がかかります。
アメリカは、日本と比べてクリスチャンの数も多く、キリスト教的歴史背景、文化、慣習がある国ですが、それでも真剣に信じている人、教会に熱心に礼拝に行く人はそう多くはありません。しかし、政府による緊急事態宣言に伴う厳しい外出制限後、オンラインで礼拝をおこなっているある教会の統計によると、今までにない程の多くの礼拝配信へのアクセス数になっているとのことです1*。つまり、普段教会には、冠婚葬祭、イースターとクリスマス位しか行かないアメリカ人の多くが、オンラインで礼拝を聞き、牧師の話に耳を傾け、祈りに心を合わせていると察します。まさに、祈るしかない、という状態です。
一方、日本はこのような西欧文化ではなく、また神社やお寺が礼拝のオンライン配信することはないと思います。では日本人はどうしているのでしょうか?詳しくはわかりませんが、今までと異なる生活スタイルを構築するのに必死になり、自分たちで努力して、ストレスがかからないように過ごせる、巣ごもりの方法を模索しているかもしれません。
キリストを信じる者にとって、祈りとはまさに、「神のみ前に」出ることではないでしょうか。祈りが単なる、お願いごと、嘆願を叫ぶだけでなく、本質的には、祈りとは大いなる、畏敬の念を抱かずにいられない神のみ前に、安心して、自分をさらけ出すことが出来ることだと思います。祈りを通して神様の前に出ることは、特別の場所に行く必要がなく、人里離れたところに独りで籠らなくとも、日常生活の中で心の中できるます。自身がどこにいても、神様の御前にいるということに意識を集中すれた、周りのことを全て忘れて、あなた(私)と神だけのマンツーマンの世界になれます。そこには、自分が神様に祈る資格がなくても、ふさわしくなくても大丈夫、ありのままで神様の前に出られるのです。ありのままで出られる理由は、私と神様の間に、完全な仲介者が入って下さっているからです。その仲介者とは、神様が送って下さった、真理である御子、イエス・キリストです。私たちは「イエス・キリストの名によって」祈ります。イエス様が、「私の名によって祈りなさい」と弟子たちに言われたからです*2。
そうはいっても、日常生活中で、なかなか意識を集中できませんが、少しの時間でも、歩くとき、何か家事をしている時、出来るだけ心の中で神様に語り掛けるようにしています。すると、どんなに不安にさせるようなニュースが日々流れようとも、私は神様の前に、心を安んじていられ、神様への感謝の想いが賛美歌として、心の中で歌えるのが幸いです。
「それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。」 第一ヨハネの手紙3章19節
*1 アメリカの教会、Harvet、Greg Laurie牧師による、礼拝オンラインの統計。アメリカでロックダウンが施行された直後の日曜日に、オンラインによる出席者が250,000人以上、続く週は100万人以上のアクセスがあった。”Digital Worship May Create America’s Next Spiritual Awakening",bGreg Laurie* Blog , Apr. 14, 2020より。
*2「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」 ヨハネによる福音書16章23-24節
アメリカは、日本と比べてクリスチャンの数も多く、キリスト教的歴史背景、文化、慣習がある国ですが、それでも真剣に信じている人、教会に熱心に礼拝に行く人はそう多くはありません。しかし、政府による緊急事態宣言に伴う厳しい外出制限後、オンラインで礼拝をおこなっているある教会の統計によると、今までにない程の多くの礼拝配信へのアクセス数になっているとのことです1*。つまり、普段教会には、冠婚葬祭、イースターとクリスマス位しか行かないアメリカ人の多くが、オンラインで礼拝を聞き、牧師の話に耳を傾け、祈りに心を合わせていると察します。まさに、祈るしかない、という状態です。
一方、日本はこのような西欧文化ではなく、また神社やお寺が礼拝のオンライン配信することはないと思います。では日本人はどうしているのでしょうか?詳しくはわかりませんが、今までと異なる生活スタイルを構築するのに必死になり、自分たちで努力して、ストレスがかからないように過ごせる、巣ごもりの方法を模索しているかもしれません。
キリストを信じる者にとって、祈りとはまさに、「神のみ前に」出ることではないでしょうか。祈りが単なる、お願いごと、嘆願を叫ぶだけでなく、本質的には、祈りとは大いなる、畏敬の念を抱かずにいられない神のみ前に、安心して、自分をさらけ出すことが出来ることだと思います。祈りを通して神様の前に出ることは、特別の場所に行く必要がなく、人里離れたところに独りで籠らなくとも、日常生活の中で心の中できるます。自身がどこにいても、神様の御前にいるということに意識を集中すれた、周りのことを全て忘れて、あなた(私)と神だけのマンツーマンの世界になれます。そこには、自分が神様に祈る資格がなくても、ふさわしくなくても大丈夫、ありのままで神様の前に出られるのです。ありのままで出られる理由は、私と神様の間に、完全な仲介者が入って下さっているからです。その仲介者とは、神様が送って下さった、真理である御子、イエス・キリストです。私たちは「イエス・キリストの名によって」祈ります。イエス様が、「私の名によって祈りなさい」と弟子たちに言われたからです*2。
そうはいっても、日常生活中で、なかなか意識を集中できませんが、少しの時間でも、歩くとき、何か家事をしている時、出来るだけ心の中で神様に語り掛けるようにしています。すると、どんなに不安にさせるようなニュースが日々流れようとも、私は神様の前に、心を安んじていられ、神様への感謝の想いが賛美歌として、心の中で歌えるのが幸いです。
「それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。」 第一ヨハネの手紙3章19節
*1 アメリカの教会、Harvet、Greg Laurie牧師による、礼拝オンラインの統計。アメリカでロックダウンが施行された直後の日曜日に、オンラインによる出席者が250,000人以上、続く週は100万人以上のアクセスがあった。”Digital Worship May Create America’s Next Spiritual Awakening",bGreg Laurie* Blog , Apr. 14, 2020より。
*2「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」 ヨハネによる福音書16章23-24節