Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

「もしかすると、この時のため」と思えること

2020年06月07日 | 日記
 「選タクシー」というドラマの再放送を見ています。このタクシーはタイムマシーンでもあり、もう一度その時点に戻ってやり直したいという過去の地点に戻れるという内容です。大概、過去に戻っても、今度は別の問題が生じてドタバタ劇となるという、とてもコミカルなドラマで、私は毎回ゲラゲラ笑いながら見ています。

 生きていると、良いこともあれば悪いと思えることもあります。嬉しい時、悲しい時、辛い時、恐れを感じる時。良いことは楽しいことはそのまま受け入れられますが、例えば、自分の愛する子を突然病気・事故で失ってしまう悲しみ、今のように見えないウイルスがいつ自分の体内に入り、重篤になるのではないかという恐れ、孤独にさいなまれる辛さ、人にいじめられたり傷つけられたりする経験。。。誰でもその渦中にある時、「これはいい経験だ!」などど、肯定的にとらえることは難しいでしょう。私は20代の時アメリカに留学・就労したことがありますが、それは人生で辛い時期となり、無駄だったと思えました。出来れば過去に戻り、アメリカに留学せず、もう一つの選択肢:日本で福祉の専門学校に行く道を選んでいれば、もっと幸せな人生だっただろう、こんなに失うものが大きくなかったのにと、悔やむことが以前はありました。しかし、いくら悔やんでも、選タクシーに乗って過去に戻ることは出来ないのです。

 聖書には、過去が変えられた話は記されておらず、逆にその過去が意外な良いことに生かされたり、用いられたりする話がいくつか記されています。例えば、ヨセフという男性は、10代の時、他の兄弟たちに妬まれて、エジプトに奴隷として売られてしまいます。そのエジプトでも冤罪で牢に入れられたり、辛いことばかりでしたが神様への信仰は持ち続けます。牢に入っている時に出逢った人を通して、エジプトの王様からヨセフの知恵と夢を解き明かす能力を買われ、エジプトの総理大臣を任されることになったのです。これは、その地帯全体に酷い飢饉が起こる前のことで、神様はヨセフを通して、エジプトだけでなく、その周辺の国々の人々も穀物が手に入れられるよう計られました。これはヨセフが30歳になった時のことで、彼は10代で奴隷として売られた時に、自分がこのような役割を担うためだったとは想像できなかったでしょう。下記の聖書の箇所は、ヨセフの兄達へのヨセフの言葉であり、これも、この時のためだったのです。

 神様は一人一人の人生にその人にしかない計画を持っておられますが、一方で人には自由意志があり、自分で様々な分岐点で選択をしていき、その結果が必ずしも喜ばしいことばかりでなかったり、失敗を刈り取らねばならないこともおこります。神様はそれらを無駄なこととせず、私たちの想像しなかったような意外なことに役立てられたり、ああ、あのことがあったのも、この時につながるのだと思えるような展開に、神様が軌道修正をして導いて下さります。

 キリストを信じる信仰が与えられてからは、後ろ向きな考えをすることが少なくなりました。してしまったこと、おこってしまったことをくよくよ思い返さずに、今後は自分の思いではなく、「神様はどう考えられるかな」という思考回路にもっていくように努め、迷った時は答えを求めて祈り、苦しい時には助けを求めて祈り、物事を選択していくようになりました。それは、神様という方は私が何をしようと、しまいと、神様の計画通りに私が動かなくとも、それでも神様は私をそのまま受け入れ、罪を犯せば赦し、愛して下さっているという安心感が与えられているからです。私への責めも恥も、全てキリストが十字架で負って、代わりに死んで下さったのですから。

 ちなみに、日本に帰国してしばらくしてから福祉の専門学校に行く機会に導かれ、仕事も与えられました。そして、アメリカに住んでいた時に得た様々な経験、多くの人との出会いは私にとって貴重な宝となり、これらが相まって今の自分があることを、神様に心から感謝しています。

「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。 」創世記50章20節