おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

オーウェルが『1984年』を描いてから75年経ったけれど-私たちが直面していることについて考えるⅡ⑨-

2024-03-07 06:40:19 | 日記
1949年にイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、
小説『1984年』のなかで描いた、鏡の世界では、何もかもが見かけとは反対になる。

例えば、平和省は延々と戦争を続け、真理省は党の偽りのプロパガンダとつじつまが合うように、過去の記録を改ざんしている。
また、愛情省にいたっては拷問を行っている。

......あれ??

オーウェルの小説のなかの世界だけではないようにも、私には思えるのだが......。

最近まで、西欧において、オーウェルの小説『1984年』の読者は、
そこで描かれている薄汚い欺瞞、常時行われる監視、善意による残酷さが、
アメリカと対峙する国、特にロシアにだけ存在する特殊なものである、と半ば確信し、ある種の優越感を抱くことが出来ていた。

「ビッグ・ブラザーと思想警察だなんてSF小説らしく想像力が豊かだ」
とか
「文明世界に住む私たちは、全体主義に汚されることはなく、また全体主義に支配される心配もない」と思えていたからである。

こうした状況が一変したのは、トランプがロシアの独裁的な手法を真似し始めたときからであろう。

トランプのツイートや記者会見は、『1984年』で描かれた言語「ニュースピーク」で行われているかのように、私は感じることがある。

トランプの周囲により、トランプの虚偽発言は「オルタナティブ・ファクト」(もう一つの事実)だとごまかされてしまい、不都合な事実を掲載した政府のウエブサイトは一掃されてしまった。

また、トランプにとって、最大かつ最重要な戦いはメディアとの戦いであろう。

ファクトチェックを重要視する自由な報道機関によって、トランプの恐れ、その結果として起こる怒りはあおられている。

どんな独裁者にとっても、純然たる真実やそれを表現したものほど危険なものはない。

また、どんな独裁政府にとっても、真実を否認すること、真実を語る勇気のあるひと人々を否認することほど大事なことはないのである。

『1984年』でイギリスの作家ジョージ・オーウェルが1949年に描いたディストピアでは、ビッグブラザーと思想警察がテレスクリーンを通じて市民のあらゆる動きを監視し、会話の一言一句を隠しマイクで聞いている。

自分の子どもを含め、至るところに密告者がいて、あらゆる思考、感情、人間関係について政府に密告する。

使用言語は「ニュースピーク」である。

先にも述べたように、この鏡の世界では何もかもが見かけとは反対になるため、

目下のスローガンは「戦争は平和である」「自由は服従である」「無知は力である」である。

党の方針に従わなければ、「思想犯罪」となるため、善良な市民は、「メモリーホール(記憶口)」と呼ばれる深い穴に危険で不都合な真実を投げ入れる。

党の正当性に反対する者は「非実在者」として歴史から抹消される。

オーウェルの描く、この鏡の世界では真実が偽りであり、偽りが真実なのである。

また、愛情はビッグブラザーに向けられなければならないとされ、個人の結びつきは国家に対する犯罪行為で、各人の1番の弱点を攻撃する特殊な拷問によって罰せられる。

思想警察は、この物語の主人公であるウィンストンがネズミを極端に恐れ嫌っていることを知った上で、大型で獰猛なかなりお腹を空かせたネズミが入ったカゴを、彼の顔に押しつけるのである。

警察は、彼が助かるために、彼が言わなければならないこと、感じなければならないことを指示してはくれない。

しかし、まさにカゴの扉が開こうとしたとき、ウィンストンの頭に、発すべき正しい台詞がひらめくのである。

それは、
「ジュリアにやってくれ」

である。

ジュリアはウィンストンの最愛の女性である。

愛する女性を「自ら進んで」裏切った、となれば、ウィンストンの狂気は正され、彼が善良で信頼できる市民として社会に再び迎え入れらえるようになるのは明白だ。

当然ジュリアの方も、同じようにウィンストンを裏切ることによって正気を取り戻していた。

党は彼/彼女たちの服従だけではなく、愛情も欲している。

物語は、ウィンストンが涙を流しながら、テレスクリーンに映るビッグ・ブラザーを見上げ、彼への愛情を確認し、自らに対して勝利を収めるところで終わる。

トランプが登場する前からすでに、スノーデンの暴露文書によって、アメリカ政府が巨大な監視機関となっていたこと、国民には嘘をついていたこと、CIAが『1984年』のなかの「思想警察」とさほど変わらない手法と精神のもとに、精神的・肉体的拷問を行っていることが明らかになった。

「ビッグ・ブラザー」が人の心を読み取り、思考を共生する手段は、独裁者になろうとする者が今日利用することができる監視技術と比べれば、悲しいほど未熟な者であると言えよう。

プライバシー、思想の自由、民主主義が、これほど独裁的に操られる危機にさらされたことは、これまでになかったのではないであろうか。

ところで、
民主主義は、貴重な統治方法であるが、歴史上ではあまり多くはみられない、危険なほどもろいものでもある。

民主主義的な政府をはじめて樹立したアテネは、扇動的指導者によって民衆が悲惨な決断に導かれ、その短期的試みは失敗に終わった。

プラトンは民主主義がそれほど機能しない制度であると考え、自分が理想とする国家ではそれを禁じた。

400年前に西欧で民主主義の先駆者が台頭し始めると、哲学者のホッブズやヴィーコは、その動きが必然的に、混乱と中央集権への復帰を招くと予測した。

過去300年の歴史から、
民主主義はうまく機能している場合は最良の統治形態であるが、
対立、組織の分裂、混乱、腐敗に悩まされると最悪の統治形態となることが証明された。

世界には、今、失敗した何十もの「民主主義国家」が在り、内戦や無政府状態、全体主義者による権力奪取のまっただ中にあるか、そうした方向に向かいつつある。

ちなみに、昔のイスラムの格言には
「人民の人民に対する1年間の専制政治よりも、サルタンによる100年の専制政治の方がまし」
というものがある。

私たちの民主主義がいつまでも安泰だと信じるには、アメリカを含む世界の民主主義国家の多くで復活しつつある反民主主義の傾向に目を瞑らなければならないようになりつつある。

恐怖、不安、国家主義、経済危機、外国人排斥、レイシズムに煽られるかたちで、急進右派の政党や政策が急速に票や支持、社会的信用を集めている。

また、テロなどに対する反射的な過剰反応の影響で、市民の権利は縮小し、監視網が拡大している。

歴史上、民主主義国家が失敗しているのは、下手な決断が下されたり、決断が下されずに政治が停滞したりした結果、混乱に陥ったり、強者による敵対的な権力の奪取を招いたりしたときなのである。

昨日の結果を受けずとも、アメリカはすでに大きく広がる政治不信に苦しんでいる。

この世界は、予想されるトランプによる政権の混乱により、
民主主義がこれ以上機能せず、その結果生まれた政治の空白を独裁者がぴったりのタイミングで埋めてしまうという、
多くの人々が最も恐れていることを現実にすることなど、ない世界であるということを、私は、信じたいと思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から数日間不定期更新になりますが、また、よろしくお願いいたします( ^_^)

ヘイリー氏が撤退してしまうようですね......「いずれは.....」予想していたことではありながら、やはり残念です(/_;)

今日も頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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