資料を下記のサイトに収めてありますので
参加できなかった方方も資料をダウンロードしてご視聴等いただければと思います。
下記をダブルクリック
横浜黒船研究会 (オンライン講演会)
会員各位 殿 (BCCにて送信しています)
皆様、
新型コロナ禍もおさまりつつありますが、次回、令和6年5月12日も引き続き
オンライン講演会の開催を実施して行くことにいたします。
皆様のご協力とご了承をお願いいたします。
前回までと同様に、どなたでも参加は簡単ですのでカメラ付きのパソコンを準備の
うえ5月12日(日)午後13時30分から受付開始といたしますので
下記指定サイトをダブルクリックして参加していただきますようお願いいたします。
https://takashimurakami-119.my.webex.com/meet/pr26440105347
初心者の方でもどなたでもご参加いただけますように、会員のご協力にて
オンライン講演会操作マニュアルを作成していただきましたので、
マニュアルを添付参照の上ふるってご参加いただきたいと思います。
横浜黒船研究会第44回 オンライン(第221回定例会)講演会開催のお知らせ
日 時:令和6年5月12日(二日曜日)
14:00~16:00 (13:30 アクセス入場開始)
発表者 横浜黒船研究会員 酒井 逸朗氏
講演題目 「我が国におけるレンガの歴史」
場 所:各自宅パソコン前
参加費: 無料
研究発表会
13:30 受付開始
参加者は自宅よりカメラ付きパソコンから下記サイトにアクセスして、どなたでも
参加は簡単です、時間になりましたら下記をダブルクリックしてください。
世話人が応対して誘導いたします。
なおオンライン講演会操作マニュアルを事前に参照しておいてください
下記をダブルクリック):
https://takashimurakami-119.my.webex.com/meet/pr26440105347
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~15:30
講演題目
「我が国におけるレンガの歴史」 の講演概要 (5月12日 2024年)
明治維新後は列強と肩を並べてやっていくうえで、土壁、材木および、紙で出来た建物では見劣りすることを感じた当時の政治家は、西洋化を進めるうえで、鉄筋コンクリート造に入る以前では、レンガ造りを推奨することとなった。現在でも当時のレンガ造りの建物が健在である。それ以前に明治政府は富岡製糸場を開設するに当たり、元々横須賀造船所の建設で来日していたポール・ブリュナの指導のもとに、製糸場の建物が完成した。その中でレンガ使用と、建築素材である木材の組み立ては、ホゾ組ではなくボルト・ナットで締めあがるトラス構造が建設時間を短縮するために採用された。
明治維新後のレンガ造りは富岡製糸場用のレンガ窯が使用されたと、私は想像していた。しかし、当製糸場開設の15年後に大量生産が可能なホフマン窯方式による日本煉瓦製造会社が設立され、大量のレンガが供給され、レンガ造りが盛んになった。当レンガ工場は、深谷に建設され、深谷には良質の粘土が産出した。また我が国の多くの会社を設立した渋沢栄一の力添えも記憶すべきである。もともと我が国では各地に瓦製造がなされており、その延長として各地にホフマン窯が建設され、レンガが供給された。
筆者は以前に福岡の筑豊の石炭産業に象徴である田川の石炭歴史博物館を見学した。その時大掛りな炭鉱を開設するに当たり、ボイラー用の煙突用のレンガならびに、炭鉱用櫓用の鋼材を英国から輸入して建設されたことを知った。その建設は1910年である。日本煉瓦製造会社が設立されたのが1889年であるが、九州の炭鉱建設用にレンガを供給できるまでには成長していなかったことを理解した。石炭は産業革命を実現するためには、なくてはならない要素である。筑豊の資本家も石炭の需要を見越して、英国からの前述の輸入を決断したと思われる。
以上述べたことから、レンガの歴史について調べることにした。1923年の関東大震災では、補強なしのレンガ造りの構造物はほとんど崩壊し、鉄筋コンクリート造を促進するためのセメント産業の勃興を促進した。参考までに述べると、レンガを積み上げるときレンガの結合にはセメントによるモルタルを使用するのが標準仕様であるが、輸入セメントが高額であるため漆喰に砂を混ぜたものが富岡製糸場で適用された。
15:30~16:00 質疑応答
以上
横浜黒船研究会
事務局長
村上 隆
横浜市港北区錦が丘7番18号
電話:045-439-6652
携帯:080-4868-8650
当会のホームペイジ:
横浜黒船研究会(Yokohama KUROHUNE Research Society) (goo.ne.jp)