資料を下記のサイトに収めてありますので
資料をダウンロードしてご視聴等いただければと思います。
下記をダブルクリック
横浜黒船研究会 (オンライン講演会)
会員各位 殿 (BCCにて送信しています)
皆様、
新型コロナ禍もおさまりつつありますが、次回、令和6年7月14日も引き続き
オンライン講演会の開催を実施して行くことにいたします。
皆様のご協力とご了承をお願いいたします。
前回までと同様に、どなたでも参加は簡単ですのでカメラ付きのパソコンを準備の
うえ7月14日(日)午後13時30分から受付開始といたしますので
下記指定サイトをダブルクリックして参加していただきますようお願いいたします。
https://takashimurakami-119.my.webex.com/meet/pr26440105347
初心者の方でもどなたでもご参加いただけますように、会員のご協力にて
オンライン講演会操作マニュアルを作成していただきましたので、
マニュアルを添付参照の上ふるってご参加いただきたいと思います。
横浜黒船研究会第46回 オンライン(第223回定例会)講演会開催のお知らせ
日 時:令和6年7月14日(二日曜日)
14:00~16:00 (13:30 アクセス入場開始)
発表者 横浜黒船研究会員 奥津弘高氏
講演題目「小田原藩とペリー来航」
場 所:各自宅パソコン前
参加費: 無料
研究発表会
13:30 受付開始
参加者は自宅よりカメラ付きパソコンから下記サイトにアクセスして、どなたでも
参加は簡単です、時間になりましたら下記をダブルクリックしてください。
世話人が応対して誘導いたします。
なおオンライン講演会操作マニュアルを事前に参照しておいてください
下記をダブルクリック):
https://takashimurakami-119.my.webex.com/meet/pr26440105347
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~15:30
講演題目 「小田原藩とペリー来航」
江戸時代末期になると外国船が頻繁に来航し、相模湾や江戸内海へも許可なく入港する船が訪れるようになります。
下田から大磯までの相模湾沿岸の海防を担当した小田原藩は、韮山代官江川太郎左衛門英龍(担庵)の設計により小田原台場を建設し、
外国船の攻撃 に備えました。
日本を開国しようと訪れたペリー提督来航に小田原藩はどのように対応したのか、地元小田原の資料とアメリカ側資料を対比して解説します。
画家ハイネは相模湾の艦上から富士山を描き、その原画を基に作成された石版画は「BAY OF WODOWARA」(小田原湾)と題して、
米国議会報告書『ペリー艦隊日本遠征記』に掲載されています。
小田原湾とはどこなのか、ペリーらは小田原沖で何をしていたのかについて、アメリカ側の資料を調査し謎の解明に挑みました。
当初ペリーは戦争をも辞さないとの方針を海軍長官へ伝えましたが、フィルモア大統領は戦争を回避するよう訓告を発しました。
第2回目ペリー来航の嘉永7年(1854)2月、小田原藩隠密佐藤直信は浦賀ならびに神奈川へ派遣され、ペリー艦隊の動向や日本側各藩の防備に
ついて諜報活動を行ないました。
調査報告書は日記形式で筆記され、「異国船御用二付浦賀幷神奈川日記」と題して藩主大久保忠愨(ただなお)に提出されました。
隠密佐藤直信はどのように情報を収集したのか、初公開の古文書資料をスライドで提示して解説します。
この日記は幕末の隠密の活動記録として学術的に大変貴重な歴史資料であり、今後ペリー来航の歴史学的研究に寄与することを期待しています。
日米の互いの饗応により交渉ムードが好転し友好的に開国交渉が始まると、日本人の交渉力に圧倒されたペリーは通商条約の要求を取り下げざるを
得ず、嘉永7年3月3日に日米和親条約として締結されました。
その結果下田港が開港され、小田原藩は幕府の命により下田の海防を担当しました。
今年は下田開国170周年にあたり、下田市や下田開国博物館で記念イベントが開催されています。
15:30~16:00 質疑応答
以上
横浜黒船研究会
事務局長
村上 隆
横浜市港北区錦が丘7番18号
電話:045-439-6652
携帯:080-4868-8650
当会のホームペイジ:
横浜黒船研究会(Yokohama KUROHUNE Research Society) (goo.ne.jp)