見出し画像

先祖を探して

Vol.122 古文書を門外不出から公開へ


我が宗家には、ご先祖様が書き残した古文書とは別に、薩摩時代に書かれた文書もいくつか保管されています。1500年台の陶磁器なども残されています。
古文書類は、これまでは一部の研究者の方にしか公開しておらず、全ての原本の掲載なども不可としておりました。
それは隠したい事実があるとかいうようなミステリアスなことではなく、先祖代々の申し送りによって現代までそうしてきたわけです。

私としては、なぜご先祖様はこれらの古文書を何百年も隠し通して門外不出としてきたのか?
そこは非常に疑問がありました。私自身が先祖調査を始めてから、島の本家にある文書の全てをまだ見たことがなく、全てをまだ理解できていなかったこともありますが、ずっと疑問を持っていました。
しかし、先日叔父から届いた文書に、その答えが隠されていました。

当家のことや、島の歴史についてずっと研究を続けてくださっていた先田光演先生が、今は亡き親族の叔父T氏にこのような逸話を聞いていらしたのです。

「トゥンガナシが島人は系図や古文書は持つ必要がないといって、取り上げていた。だから、彼らが来るときは貴重な品物は分家などに持っていって隠していた。」

*トゥンガナシ=お殿様(薩摩藩士)


この話は、親族の叔父であるT氏が、自分の祖母から聞いていた話だそうです。(祖母は江戸時代後期生まれ)
更に叔父T氏の話によると、「トゥンガナシがよく家に訪ねてきたそうですが、島役人をしていたので事前に来訪が分かっていたから、その時にはいろいろなものを分家に持って行って隠したそうです。トゥンガナシは、島人にはそんな高級なものはいらないといって取り上げてしまったので。」と語ったそうです。


やはり、薩摩による系図などの取り上げは実際にあった話しだったようです。当家が実際に取り上げられた古文書関係があったのかは不明ですが、取り上げられることを恐れ隠し隠してきた。だから門外不出だったわけです。おそらく、家にこのような物があるということも他言はできなかったのだと思います。


大正か昭和の初めに、どこかの大学の先生方が研究のために見せてほしいと本家に来られた時にも、古文書一式は見せなかったと聞いたことがあります。時代は変わっても、まだ先祖代々からのマインドは続いていたのだと思います。
その後は、先田先生の熱心なご研究により信頼関係ができ、研究者の方には解禁になっていったのだと思われます。


解禁とはいっても、原本の公開はしておりませんでした。また解読された「世之主由緒」以外の文書については、解読書も含めて原本の公開はしておりませんでした。
これらの未公開文書には、その時代の歴史を解明していくためのヒントや要素が残されていると思いますし、先田先生もそのようなことをお書きになられております。私個人としても、ぜひ研究者の方々に研究をしてほしいとの思いもあり、文書を保管している叔父とも相談し、今後の歴史研究の参考になればと開示をしていくことにしました。


今はまだ残念なことに、文書を全て電子化できていないので、現在はまだ現物のコピー版からの開示にはなりますが、準備が出来れば写真版で掲示したいと思っております。
研究者の方々の目に留まり、これまで以上に情報が集まってくれればと期待しております。

古文書の解読や内容把握に時間を要するので、少しずつの開示とはなりますが、沖永良部島を中心とした琉球、薩摩時代の歴史に少し興味を持って下さる方々が増えていくといいなと切望しております。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ご案内」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事