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先祖を探して

Vol.124 琉球・徳之島・永良部との繋がりが見えてきました

ここのところずっと関係者とのやり取りや、古文書等の読み込みでバタバタとしておりましたところ、とても大興奮な出来事がありました!
当家のご先祖を探す1つのキーとして、徳之島との関連を模索しブログのVol.75あたりから数回記事を書いていた通りなのですが、まだまだ消化不良なところがあり、思い切って徳之島の方(徳之島観光協会)に問い合わせをしたのです。

1つは、三山統一後に島に和睦の中山の船がきた時に、侵攻だと誤認して当家の先祖の世之主と奥方、長男が自害し、長女と二男が乳母と一緒に徳之島に逃げてしばらく生活していた件。王家の子供が逃げてきて生活してたのだったら、伝承とか残ってる可能性があるなと。

2つ目は、キーパーソンとなる1612年に他界した思鎌戸という人のこと。この方はもしかしたら当家の先祖になる方かもしれないので、家族や子孫の詳細やお墓の所在などを知りたかったのです。

観光協会さんが私の質問に何か情報があれば答えて下さればラッキーだなという位の気持ちで、メールでその他の質問も入れて問い合わせしてみました。
すると、お返事がとても素晴らしいではありませんか。
私の先祖調査に出来る限り協力させてもらいますというような回答を頂き、もう天にも上る気持ちでした。
調査には暫く時間も要するとのことでお待ちしていたところ、昨日待ちに待ったお返事がきました。

なんと!素晴らしい!想像をはるかに超えたお返事を頂けて大興奮です!
質問をしていた事項については、残念ながら詳細な情報が無かったそうですが、キーパーソン思鎌戸さんを含めた当家にも繋がる可能性のある系図が添付されていたのです!
この系図は徳之島と沖永良部、琉球王家との繋がりが見える系図で、私が持っている情報も含まれた系図です。当家のご先祖様解明の大きな手掛かりになる可能性が大です!
しかも、この系図を作られた研究家の方とコンタクトを取らせてもらうことが出来ました。徳之島にお住いだと思っておりましたら、これまた天のめぐり合わせで、奇遇にも私と同じ地区にお住まいだったのです。
お互いの資料を持ち寄り、さっそくミーティングをという流れになりました。

気分はもうすっかりご先祖様が判明した感じですが、いえいえ、まだ正確には繋がっておりません。これから正確につなげていく調査が必要です。でも1609年薩摩侵攻時の時代の扉が1つ開いた感じです。この扉がなかなか重くて開けることができなかったのですが、そのカギが今回入手した系図だったのです。きっとそうです!

今後の展開、ご期待ください。


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