当家のご先祖様から続く苗字は「宗:ソウ」といいます。
この苗字がつけられた時期と由来を様々な資料を見ながらずっと考察しておりましたところ、時期については2つの情報を得ることができました。
1つめの情報
当家の記録上での始祖となる中城という薩摩時代に与人をしていた方の戒名(1688年没)には、「本爺宗源」と書かれています。
この戒名だけを見ると、この1688年の元禄時代には既に宗と苗字を名乗っていた可能性があります。
2つめの情報
明治期に平民にも苗字をつけるようになった時に、当時の本家の当主であった義保という方が、それまでの功績を認められ一代士族の扱いを受けて、他の家々よりも1年早く苗字をもらったということです。これについては、明治9年に鹿児島県庁に提出した申請のための?明細書や、当時の当主の履歴書みたいな書が残されています。明治9年といえば西暦で1876年。今年2021年からすると145年前の文書ということになり、これも立派な古文書の域に入っていますね。他にはあまり残されていない珍しい文書になるようですので、この古文書の紹介は別記事にしたいと思います。
苗字を名乗った時期は?
この流れから見ると、苗字を名乗るようになったのは明治9年以降ということが有力にはなるのですが、1688年の戒名に書かれている「本爺宗源」のことがまだ気になります。
この戒名を主に考えた場合にあり得ることとしては、2つのケースが考えられます。
ケース1
①1609年の薩摩侵攻前までの琉球時代の中城は「宗」という苗字を名乗っていたので、戒名に「本爺宗源」書いてある。
②薩摩侵攻後に島民はいったん苗字は名乗れなくなったが、明治9年に許可が出て、以前に名乗っていた「宗」の苗字を使うことになった。
ケース2
①1688年の中城の戒名は、明治9年の苗字許可後に書かれている。よってこの時代には苗字は無かった。
①を裏付けるのは、戒名の「宗源」という文字です。文字通りに読めば、「宗の源=宗家の始祖」ということになります。この中城という人物の親については、当家でもまだ分かっておりませんが、普通に考えればその親も「宗」という苗字だったはずです。それが、宗の始祖というような書き方をしているので、明治9年以降に過去を遡って書かれた可能性があるのです。
ただし、中城の親の代までは違う苗字で、中城から「宗」を名乗ったことも可能性としては考えられるので、宗源と表現されているのかもしれませんが、当時の琉球式の苗字のつけ方は領土の地名も関係しています。そう考えると、やはり明治9年説が正しいのかもしれません。
苗字の由来
なぜ「宗=そう」という苗字にしたのか?
親族からこのような由来説を聞くことができました。
苗字を決める際に、琉球の「尚家」にちなんだ苗字にしたい。「尚=しょう」を名乗ることは出来ないので、音が似た文字「宗=そう」とした。
上記説は記録に残されているわけではないので、正しい由来であるのかは分かりませんが、家紋も同一である琉球の「尚家」との繋がりを示唆するものであると思います。
まとめ
いまのところはこれ以上の情報が出てこないので、正確なところではありませんが、手元にある情報だけで判断した場合の苗字の使用開始は明治9年、由来は「琉球の尚家」ということです。
少なくとも琉球の尚家との関わりを苗字でも示唆していることが分かりましたので、その繋がりも見つけ出さなくていけませんね。