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先祖を探して

Vol.181 「おもろさうし」から見る琉球時代の歴史(1)沖永良部は特別なのか?


私の先祖調査は、他の多くの皆様がなさっているご先祖調査とは少し方向性が違うのだと思います。当家の場合は1600年当初までのご先祖様までは分かっているのです。問題はそこから以前なのです。1400年初頭に存在した世之主と呼ばれた当家のご先祖様と言われている方との明確な繋がりを探しているのです。その間の200年ほどの繋がりが分からないのです。そして謎が多いのです。
そこを調査するためには、琉球史を調べて、紐解いていくことが必要だと感じ、様々な角度から関係がありそうなことをピックアップして繋がりを探しております。
今回はずっと気になっていた、琉球の万葉集とも呼ばれている「おもろさうし」から何か手掛かりがつかめないかと調べてみました。


「おもろさうし」について

そもそもこの「おもろさうし」(おもろそうし)ですが、琉球王国の第二尚氏第4代尚清王代の1531(嘉靖10)年から尚豊王代の1623(天啓3)年にかけて、首里王府によって編纂された歌謡集です。
12世紀から17世紀初頭にわたって謡われた島々村々の歌謡を採録した、沖縄最古の歌謡集で全22巻より成っています。
「オモロ(旧ウムイ)」とは、琉球の方言で沖縄、奄美諸島に伝わる古い歌謡を意味します。ウムイは「思い」の転訛であり、胸の中の思いを美辞を連ねて韻律的に表現したものの意だそうです。

この歌を意味する「おもろ」は、そのルーツは祭祀における祝詞だったと考えられており、「そうし」を漢字表記すれば「草紙」となり、大和の「草紙」に倣って命名されたものと考えられているのだそうです。

内容としては、王・高級神女・勇者・詩人・航海者をたたえ、風景・天象・戦争・神話について歌われており、恋愛を歌ったものもわずかに含まれています。編纂時期については不連続で、1531(嘉靖10)年に巻1が編纂されてからは約70年間編纂が途絶えており、薩摩進軍後の1631(万暦41)年になって巻2が、10年後の1623(天啓3)年に残りの20巻が編纂されています。
そして、このおもろの特徴は無時間性であり、「いつ、だれが、どこで、何をした」という小学生の国語で学ぶような作文の基本である論理的、時間的ポイントが存在しないのです。よって、書かれている事象や人物についての理解が非常に難しいと言われています。
現代人の私の感覚で言えば、「いつ、だれが、どうした」ぐらいのことを明確に歌ってくれていたら、もっともっと歴史がはっきりと分かっただろうに、、、と思ってしまうのですが、このぼやかした書き方(勝手にそう呼んでいますが)が当時の歌の描き方の主流であったのか?
そこは分かりませんが、今となってはこの歌が手掛かりの1つにはなると思いますので、まずはそこを追っていくしかないですね。

全22巻には総計1554首(重複を除いた実数は1248首)の歌謡が収められています。 主な内容は以下のようになっています。

1.きこゑ大きみがおもろ 首里王府の御さうし  1531(嘉靖10)年
2.中城越来おもろ 首里王府の御さうし 1613( 万暦41年5月28日)年
3.きこゑ大きみかなし おもろ御さうし  1623(天啓3年癸亥3月7日)年 以下同年
4.あおりやゑさすかさの おもろ御さうし 
5.首里天きやすへあんじおそいがなし 首里おもろの御さうし 
6.首里大君せんきみ君がなし もゝとふみあがりきみの つんしのおもろ御さうし  
7.首里天きやすへあんじおそいがなし はひのおもろ御さうし
8.首里天きやすへあんじおそいがなし おもろねやがりあかいんこが おもろ御さうし
9.首里天きやすへあんじおそいがなし いろ/\のこねりおもろ御双紙
10.ありきゑとのおもろ御さうし
11.首里ゑとのおもろ御さうし
12.いろ/\のあすびおもろ御さうし
13.舩ゑとのおもろ御さうし
14.いろ/\のゑさおもろ御さうし
15.首里天きやすへあんじおそいがなし うらおそいきたたんよんたむざおもろの御さうし
16.首里天きやすへあんじおそいがなし 勝連具志川おもろの御さうし
17.恩納より上のおもろ御さうし
18.首里天きやすへあんじおそいがなし 志ま中おもろ御さうし
19.ちゑねんさしきはなぐすくおもろ御さうし
20.こめすおもろの御さうし
21.くめの二ま切おもろ御さうし
22.みおやたいりおもろ御さうし

※「/\」=繰り返し記号

タイトルを見ただけでも、もう意味不明感が半端ないですよね。そうです、今では使われていない琉球古語が多く含まれているのです。これらを解読された研究家の方々は凄いですよね。原文のままだったら、全く意味が分かりませんので、翻訳が進んでいて本当に良かったなとホッとしております。

中身については別記していきたいと思いますが、1つだけ先にポイントとなることを書いておきます。
奄美群島の歌は巻10、13、14にあるのですが、以下に一番多く歌われてる巻13の中から全29首を抜粋しています。
番号は歌にふられている1~1554までの番号です。

850~861 5首 沖永良部

928~933 6首 与論
935~942 8首 沖永良部
943・944 2首 徳之島
945     1首 与路
946・947 2首 赤木名
948     1首 不明(西杜・中杜)
949     1首 名瀬・伊津部・有屋
950     1首 おわん嶽

957     1首 与論
958     1首 沖永良部

これら巻13に書かれているものを見ると、いくつかの点をお気づきの方もいると思います。

①歌の順番が沖永良部島で始まり、沖永良部島で終わっている。
②各島ごとに歌がまとめられている。
③赤字の歌の順番が、奄美群島最南端の与論からスタートして北に向かう順番になっている。
④最後はまた与論に戻り、最終は沖永良部になっている。
⑤沖永良部の歌が一番数が多い。

いかがでしょうか?
私は当家のご先祖調査を始めてからずっと、琉球から薩摩時代の島の歴史なども勉強していっているのですが、以前にも書いたことがありますが、沖永良部島は何か他の島と比べて特別感があると感じておりました。
この「おもろさうし」にも、やはり顕著に何か特別感が出ているとは思いませんか? 
この編纂の仕方を見ると、極めて意図的であると思われます。
それがいったいどんなことを意味するのか?
謎だらけですね。

続きはまた次回書きたいと思います。


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コメント一覧

yononushi
dankainogenkiさま
当ブログへのご訪問ありがとうございます。沖縄の歴史は本土ではあまり知られていないことも多いです。当家のご先祖様探しの記録のブログですが、琉球時代の沖縄本島や奄美群島のことを、皆様に広く知って頂けたらと思っております。
dankainogenki
素晴らしい沖縄。
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