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巻13 859
永良部 立つ あす達 / 大ぐすく げらへて げらへやり / 思い子の 御為 又離れ 立つ あす達 / 大ぐすく
永良部、離れ島に立つ長老達、大ぐすくを作りに作って、思い子の御為
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このおもろは、沖永良部島の長老たちが島の有力者の子のためにグスクを造営することを謡ったものなのではないかと解釈されています。
大グスクは、大きなグスクという城の大きさを表す意味もありますが、地名としても使われています。そこにグスクがあったとしても、必ずしも大きなグスクではなかったようです。
実際に島には字名で大城と呼ばれる場所があります。当家のご先祖様で平安統惟雄が1850年に書いた「世之主かなし由緒書」には、世之主は今帰仁から島にやってきた時には、玉城村の金の塔(ふばのとう)という場所に館を構えていたが、ある日に大城村の川内の百(ほーちのひゃ)と申す者と魚釣りに出かけ、川内の百が海上よりこの大城村の当分の古城地を指して、この地は大城村の地面につき世之主が城を築城してはどうかといわれ、家臣で築城の名手であったと言われる後蘭孫八に命じて3年がかりで築城したといいます。
この話に照らし合わせると、このおもろがいう大城とはやはり大城村という場所で、現在は神社が建っていますが、古城地といわれているこの場所に築城したことを謡っていると思われます。
しかし、「当分の古城地」といっているのは、世之主がいた当時すでにそこは古城地であったということでしょうかね。
何といってもこの謡が指す年代が不明なために、特定が難しいのですが、島にグスクを作ったことを謡っていることは確かで、それなりの人物がそこにいたことは間違いありません。
以下には世之主がたくさんの船を所有し、その船を使って富を得ていたことが分かる謡があります。
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巻13 935
永良部世之主 / 御船 橋 しよわちへ / 永良部島 / 成ちやる /
又離れ世之主の
永良部世之主の、離れ世之主の、御船を橋にし給いて、永良部島を成したことよ
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このおもろでは、永良部の世之主の船が橋のように連なっていることを謡ってるようです。船を橋のように連ねて、そこに積んであった金の鞍をかけた馬の群れを島に運び込み、絹織物やその他多くの高価な調度品なども運び込んでいる様子が浮かびます。
この沖永良部島にいた謡の中で登場する世之主と呼ばれる人物が、同一の人物であったのか?
時代をまたいだ別の人物であったのか?
それについては、年代が分からないのではっきりとはしません。そして、この世之主については、琉球王家であった第1尚氏、第2尚氏の王統とは別の勢力が世之主として沖永良部島にいた可能性があるとも一説では言われています。
しかしそこはどうなのでしょうか。当家のご先祖と伝わる世之主であれば、それは北山系統ということであるので、それはもちろん第1・2尚氏の王統とは確かに違うことになりますが、今の段階ではそこははっきりとは見えないと思われます。
沖永良部をメインにした謡は他にもありますが、当家のご先祖様に関わりそうなものだけをここではピックアップしてみました。年代こそははっきりとは分かりませんが、1400年~1600年代ころの沖永良部島には、後蘭孫八などの倭寇が島を拠点として交易をし、島には大変な富が溢れていて、相当に潤っており、それを統括していた島主である世之主と呼ばれた人がいたことは、このおもろを通じて分かったことです。
おもろさうしの中には、他にも沖永良部の地名が出てくる謡があり、ご先祖探しのキーになりそうなものがありますので、次回に紹介したいと思います。