直城の丘があった頃の状況を何とかイメージしたくて、丘があった頃の昭和22年の航空写真や現在の航空写真を見比べたり重ねてみたりする中で、新作ができました。すっかり地図マニアです。
今回は昭和22年の航空写真と等高線との合成版です。昭和22年の航空写真では、畑があることは分かりますが立体的ではないので何となく丘がイメージできずにいたのですが、等高線が入ると少し立体的に捕えることができました。
まずは現在の丘の様子。
昭和22年の丘の様子。
現在と昭和22年との合成写真。昔の畑の位置が現在のどこに位置するのかが
これで確認出来ました。
こちらは丘があった時代の等高線が描かれている地図です。頂上の平場が城跡(現在の世之主神社)よりも広かったようです。高さは城跡より8mほど低くて、二段目の平場程の高さだったそうです。
こちらが新作の空撮と等高線の合成です。これで丘の傾斜具合が分かりました。
段々畑の段差の違いや崖の位置などが見えてきて、丘があった頃の当時の様子が浮かび上がってきました。
丘の上に屋敷があった頃に、土砂災害があってその土砂がこの昭和22年の写真にも写っていたことはVol.287でも書きましたが、等高線を入れるとその土砂の上が崖になっていたことが分かりますね。当時の様子が色々とイメージ出来てきました。
それぞれの地図や写真は、縮尺と角度が違うものを使っているため、それを合わせていくことが少し困難でしたが、まずまずの作品になりました。100%ではありませんので、ご覧になる方は参考程度にお願いします。
今ではすっかり景観が変わってしまった直城ですが、今後はこの地図からまた新しいことが見えてきたらと期待しています。