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先祖を探して

Vol.287 直城 (10) 直城の全貌①丘にあったもの

いまとなっては幻の直城の丘。思った以上にご先祖様に関係するであろう
場所と情報がありました。そしてそれを確認出来たことは大きな収穫です。
琉球北山時代の北山王の二男として生まれ、沖永良部島の世之主として島を納めた600年前。三山統一の時のゴタゴタで世之主の二男が生き残り、その二男の子孫として600年に渡り連綿と続いてきたという宗家。
この直城の丘には、きっともっと沢山の史実が眠っていたのではないかと思います。
歴史的な調査がされぬままに丘が取り崩されていたことは非常に残念ですが、昔を知る古老たちに出会え、こうしてお話を伺うことができたことは本当に奇跡だと思います。古老お二人や、サポートしてくださった方には大変に感謝致します。

これまで直城をテーマにして書いてきたことを地図上でまとめてみました。
1枚目の地図は昭和22年の空撮です。まだ丘が残っており、全面が段々畑でした。


①割れた骨壺や人骨が散乱していた場所です。この場所は丘があった時代にも宗家の土地の中に存在していたことが分かりました。このお墓はきっと一族のご先祖様のお墓だと思われます。

②丘の上にあった宗家の屋敷。土砂災害の跡がこの写真にはまだ黒く残った状態です。私の目には黒い部分は木でもあったのかと思いましたが、当時の丘を知る古老が土砂の跡だと教えてくださいました。大変貴重な情報です。

③宗家の屋敷には大きなフキギが3本あったといいます。昔はフクギは裕福な家に植えてあり、防風林の役割もしていたそうです。またフクギは育つのが比較的ゆっくりだそうで、大きな木であったのならかなりの年月そこにあったということだそうです。

④世之主の二男が住んだ館の跡を火神殿内としていたことがお爺様の記録にありましたので、その場所がこの黄金に石があったところではないかと思われます。

⑤世之主の妾が住んでいたという場所。後に火神を祀っていたようで、カマド石が3つ残っていました。以前は根折に住む方がお花を生けたりしていたそうです。この根折の方がキーですね。その後の調査で何か分かると良いけど。

⑥世之主の母方の実家といわれている一族の屋敷があった場所です。明治期以前のことのようです。この場所は土砂崩れがあったようで、もしかしたら当家の屋敷が土砂崩れで下の方に移動したときと同じタイミングで別の場所に移られたのかもしれません。

下の写真は、昭和22年と現在の空撮を重ねて現在の地図での場所を特定したものです。これで現在地のどこに該当していたかがはっきりと分かりました。


今回の調査で新たに分かったことがたくさんあり、貴重な情報を記録することができました。ここからもう一歩進んで新たなことが分かればと今後に期待をしながら調査を続けたいと思います。


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