直城の丘には、古いお墓があったといいます。1975(昭和50)年頃に客土用の土砂を取り平地にした時に人骨も出土したようです。
このことは研究者の先生の資料を拝見して知っていたのですが、今回は実際にそのお墓の様子を知ることができました。
現在のお墓の様子はこちらです。墓石が置いてあって、割れた壺が散乱してる感じです。
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ここは丘を平らにするときに、いったんこのお墓もよけたようですが、また元の場所に戻してあるそうです。壺が割れたのはそれ以降のことなのか?
この壺には遺骨が納められたいたはずです。しかし壺が割れているので遺骨は付近に散乱しているそうです。
そしてこの壺ですが、いつの時代の物でしょうかね。
壺の表面が青灰色っぽい感じで、表面には波状文が施されているようであれば、お隣の徳之島で11世紀から14世紀頃に作られていたカムイ焼きの可能性がありますが、、、
アップで見ると、、、
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そのように見えなくもないですが、専門家ではないので全く分かりません。
表面は茶色くも見えますしね、、、わりと近代のものかもしれません。
ただ、このお墓の場所がね、当家の丘の上に屋敷があったところの土地の端の方なんですよ。だから他人様のお墓ではないはずなんです。
当家の現在のお墓は、中城という1600年代生まれの方からで、薩摩時代からの墓地に眠っておられます。その中城より前の世代のお墓は分からないのですよね。もしかしたらこのお墓がそのご先祖様のものなのかもしれません。
壺や遺骨の年代が分かればよいのですがね。
それからもう1点気になる物がありました。お墓として置かれている石の1つです。
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石の表面にくぼんだところがあります。何となくですが、自然にできたのではなく人工的に削ったのではないかと見れるのですが。
そうだとしたら、どのような理由で削られたのか?
不思議なくぼみです。
お墓の存在、場所などが確認できたことは一歩調査が前進した感じです。
しかしまだ謎は残ったままですので、調査は継続です!