沖縄に住む島出身の大学生のサポーターの方から、興味深い写真が送られてきました。
図書館で借りた米軍撮影の写真集の中に、沖永良部島の内城地区の写真があり、世之主城跡(現在は世之主神社)付近に集落が写っているとのこと。
島にいるときに、この付近に集落があった話を聞いた事があったので、多分これがそれだろうということで情報提供がありました。
ご先祖調査をしている私にとっては、どんなことでも貴重な情報ですので、とてもありがたく嬉しい連絡でした。感謝感謝。
現在の世之主城後付近は、土地開発が進み道路が整備され、民家はまばらです。
当家のお爺様が作成していた昔の屋敷跡の地図を見ても、確かに城跡付近には一族の家があったことが分かります。しかし現在ではその面影も全くない景観に変わってしまっています。
その興味深い写真がこちらです。昭和22年の米軍による航空写真
・神社と書いている場所が世之主城跡
・黄枠 当家の一族が昔に住んでいた場所
・緑枠 和泊町立城ケ丘中学校
・赤枠 集落
現物はモノクロ写真でしたので、少しだけカラー化してます。
現在の写真
写真の角度と倍率が違うので、それぞれの場所はざっくりと印をつけておりますが、問題の赤枠のあたりには、現在はほとんど家は無い状態です。
昭和22年と言えば今から74年前になりますが、その頃はまだ城跡付近には住民が沢山いたようです。いったいどんな方々が暮らしていたのでしょうかね。古代から居住していた住民であれば、当家のご先祖様についての情報も何か聞けたかもしれないと思うと非常に残念です。
ちなみに黄枠の場所は、当家の親族たちが居住していたことは分かっているのですが、明治31年の大型台風で屋敷が壊滅し、この地を離れて同じ地区の別の場所や、和泊の方へ引っ越しをしています。
お爺様の記録を見ると、当時までは昔から引き継がれた屋敷に住んでいたようです。
この地は航空写真では分かりにくいですが、昔は山深い場所だったようですので、生活するには不便だったのでしょうね。高台なので、台風の影響も大きかったでしょうし。
この地に家があったことが分かる写真などがあれば見たいのですが、さすがに明治期の写真は存在していないようです。
恐らく掲載しているこの昭和22年の写真が一番古いと思われます。
そうそう、今月の和泊町の広報に記載されていましたが、この城跡付近の出城と呼ばれている丘で発掘調査が始まっているようです。この付近の丘は以前から城の周辺とあって、色々と出土していたようですので、何か新しい出土品でもあったのかもしれませんね。本格的な調査が始まったようですので、今後に期待したいと思います。
出城の場所はピンク枠
世之主神社から撮影した写真を以前に友人が送ってきてくれたものです
11月号の和泊町広報より