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先祖を探して

Vol.70 消えゆくタピオカと田芋

タピオカと聞くと、オシャレな現代のドリンクを思いうかべますが、なんと、沖永良部島では古くからタピオカを栽培し、食用にしていたそうです。

和泊町誌:民族編によると、タピオカの伝来については明らかではないようですが、古老の談によれば、古くから小さな空き地や屋敷内に栽培されていたようです。
私の義母も、島で子供の頃によく食べていたと言います。お米が食べれないときの主食となっていたようです。

繁殖方法

挿し木で活着し、2~3ケ月もすると収穫できたそうです。温暖な気候の為、周年栽培ができる作物で、災害などの食料不足の時に、常用食として重宝な作物であったそうです。


食べかた

①芋をふかして味噌漬けにする。
②芋からデンプンを取って餅や団子などを作る。

味噌漬けの芋はどんな味がするのでしょうかね。食べてみたいです。
デンプンから餅や団子を作っていたようなので、タピオカドリンクも出来そうですが、昔は甘いドリンクは無かったでしょうから、あってもタピオカ焼酎とか?

種類

赤茎と白茎があり、白茎には毒があって料理の仕方によっては中毒を起こすことがあったようです。葉は猛毒を持っており、牛馬が食べると中毒死する恐れがあるので、次第に栽培されなくなって、現在では若干残ってる程度だそうです。


現在では

このタピオカというのはキャッサバ芋のことですね。現在では栽培についての情報もありませんので、もしかしたらもう全く栽培はされていないのかもしれません。
私はふかしたキャッサバ芋に塩をふりかけて食べたことがありますが、シンプルで美味しかったのを覚えています。

そして現代では似たような芋で、田芋(里芋の一種)というのがあり、島で唯一栽培されている農家がありました。



沖永良部島では1月16日、一族が墓前で宴会をして先祖を供養する「墓正月」と呼ばれる行事がありますが、その際、墓前に供えられる料理の中にかつては田芋餅があったそうです。
祝い事やお見舞い、新築祝いに田芋餅を配るのも定番だったそうですが、今ではもうその習慣も薄れているそうです。

水田が消滅したことが原因のようです。
かつては島全体で600ha以上あった水田が、1970年代の減反政策でほぼ100%サトウキビ畑に変わってしまったのだそうです。
米作りに不向きな湿田などを利用して栽培されていた田芋も、水稲と同じく衰退の一途をたどり、今では山崎さんと言う方が1人だけ作っておられるのだそうです。

多くの農家が田芋栽培を辞めたのには理由があり、サトウキビや他の野菜の方が効率よく儲かると判断したからだそうです。
時代とともに田芋を食べる風習が廃れていったのも理由の一つかもしれないですね。





この「田舎もち」、美味しそうですね。田芋農家の山崎さんが作ってスーパーで販売されている物です。ネットの情報では、新鮮なものを販売したいということで、1日に製造して店頭に並ぶ数は限られているそうです。島に行った時にはぜひ試食したいですね!

この田芋も、タピオカと同じく幻となっていくのは悲しいですね。


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