ウパマの4つの洞籠墓は海岸沿いの崖の上の方にありました。現在は道路が整備され東西から行くことができますが、昔は今のような道路が無く全方位から侵入することが難しかったようで、急な坂を下り西側から巡回するか、干潮時にリーフ上を東から回り込むかの進入路しかなかったそうです。
ここは風葬墓だったわけですが、こんなに侵入するのが難しい場所に、どうやって亡くなった方を運んでいたのか?
この崖の上の外城原には島見し当があったようですので、亡くなった方に最後にこの世を見せお別れの儀式をこの場所で行っていたということです。そうなれば、その後はすぐにお墓に亡くなった方を安置となるでしょうが、そこからご遺体を巡回したりして足場の悪い道から運び込むのはかなり難しかったのではないかと思うのですね。
沖縄の今帰仁にある崖上にある洞窟のお墓などは、ご遺体をロープでつるして上から降ろしていたというような話を聞いたことがありますので、もしかしたら同様の方法で島見し当から降ろしていたのかもしれません。
そしてこのウパマの海岸には『海の中道』と呼ばれた道路があったそうです。
お墓に行くために干潮時にリーフ上を東から回り込んでいたという、そのリーフの上が『海の中道』です。
海上から見たその場所ですが、ピンクのラインのところがその海の中道です。

下の写真の右下の小さな砂浜がウパマです。
その前から奥の方に向かってリーフが伸びており、昔の人は陸に道が無かったのでここを通っていたということです。干潮時には今でもその面影を見ることができますね。

この道は人工的に作ったわけではなく、人々の往来によって珊瑚を踏みつぶしてできた道だったそうです。
島で最初に開いた港といわれる伊座敷泊、次に隣のワンギョ、その隣の伊延と時代とともに港が移っていきました。その間にこの場所は人の往来が多かったので、珊瑚を踏みつぶした1500mほどの海の中道ができたということです。
この海の中道は白くて美しかったようですが、だんだんと使われなくなり苔などが生えてきて現在のようになっているそうです。

畦布字誌より