世之主の時代に城があった付近には、小高い丘がいくつかありました。現在は山を削って畑となってしまった場所もいくつかありますが、城があったと伝わる場所(現在は世之主神社がある)の北東側には世之主の次男が住んだ直城の丘、そのさらに東には友竿(ともぞう)と呼ばれる小高い丘がありました。
この友竿遺跡ですが、この場所も昭和の時代から山が削り取られており、今では山があった当時の面影はありません。
上は現在のGoogleマップで見た、付近の航空写真です。
友竿は山が削りとられている工事の最中ですね。直城はすっかり平地の畑となってしまっています。城跡も現在は随分と古い時代に比べると様子が変わってしまっています。
お爺さまが昭和57年に帰島した時に撮影した、神社から見た直城と友竿の写真がありました。
奥の方にある段々になっている工事の場所が友竿です。
その手前左手の道路が走っている畑は直城。中央右手にある緑の丘は、頂上に2段になった畑の跡(写真は草むら)があるのが分かります。ここは世之主の最初の墓があった場所と言われていて、ウファチジです。頂上に畑があった話は聞いていましたが、昭和57年当時にはまだ面影が残っていますね。今では木々に覆われていてその面影はありませんから、この写真で思わぬ発見でした。
こちらは友竿を最近撮影したものですが、だいぶ掘りこまれていますね。
この友竿についてですが、ここは友竿遺跡とも呼ばれています。
なぜかというと、昭和の時代にここから遺物がたくさん出土しているからです。しかも研究者による発掘調査ではなく、付近の住民の方が雨の日の工事中のこの場所から、土の上に浮かび上がってきていた物を発見していたのです。
その時の新聞記事がこちらです。先田先生の世之主伝説の本にあったページからの抜粋ですが、古銭や竪穴式の居住跡まであったようです。
発見した中田さんは、私も島に行ったときにお会いしました。
世之主の史跡の付近にお住まいということもあって、昔のことに大変詳しい方で、いつも色々とお話を伺っております。
古銭は中国のお金で、今から1000年も前に流通していたもの。しかも世之主の時代より300~400年も前の時代のものです。そんな古銭がこの友竿にたくさん残されていたということは、この場所はその昔は何か重要な場所であったはずです。
当時の新聞記事には、世之主の城から一望できるので出城であったかもしれないと書かれていますが、出城と呼ばれている高台は城跡の南側にもあります。友竿という地名はどんな意味があるのでしょうね。
この場所、伝承なども残されていないようで、ちょっと不思議な場所なのです。
ここで発見された古銭のことなど、次回に続きます。