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先祖を探して

Vol.215 火神殿内があったようである

久しぶりにお爺様の書いた記録を開いてみると、気になる情報が目に入ってきました。
もう何度も何度も見ている資料です。しかし、たまに開くと新しい情報が飛び込んでくるのです。
それはお爺様が天国で追記しているわけではありません。
私自身の琉球史に関する理解がまだまだ薄いので、知識が無い段階で読んでもそれが重要なポイントであるとは気が付かずに読み飛ばしてしまっているのです。
それもあって、定期的に開いて読み返しているのですが、今回は別件で陶磁器類のことを確認したくて久しぶりに開いてみたのですが、そこに興味深いことが記録されていました。

この資料は年表形式になっており、大きくて長い巻物です。こんな資料をコツコツ書き続けていたお爺さまは凄いなと改めて実感する史料です。


この資料に書かれていたのが「火神殿内」の存在です。その火神殿内を宗家が代々管理し、四季ごとの祭りを執り行っていたようなのです。

この火神殿内というには、琉球の文化であります。
現在の沖縄には昔から存在する御嶽(うたき)と呼ばれる神事を執り行う場所がたくさん点在しているそうです。沖縄の御嶽は本州の神社仏閣と違って、神殿などが建てられていなくて、自然の巨石などを神殿に見立てて崇拝するという信仰の仕方がほとんどです。 しかし、全てがそうだったわけではなく、首里城内には琉球王朝時代に王が祈りをささげた御嶽の建物も残っているし、北部の今帰仁城跡入り口に向かって左手の方角には、阿応理屋恵(あおりやえ)ノロ殿内(どぅんち)火之神の祠(ひぬかんのほこら)という、阿応理屋恵の屋敷跡といわれる建物が残っています。

当家の火神殿内は、北山王の二男であった真松千代が自害し、次男が徳之島に避難後に帰島して、直城に屋敷を建てて住んでいた。その屋敷跡が火神殿内となっていたようです。しかもお爺様がこの記録を書いた当時は、その屋敷跡であった「火神殿内」がまだ存在していたようなのです。
お爺様がこの資料を書いたのがいつであるのかは明確には分かりませんが、親族会での依頼のもとに先祖調査を始めて、その記録をしていったことを考えると、昭和28年以前の事ではないかと思われます。

ここで不思議なのが、当家がそのような琉球文化の信仰の場所を管理し、四季の祭りごとを行っていたことが、伝承として今の私たちに伝わっていないのです。確かにお爺さまは世之主神社の神主をしていましたし、その前のご先祖様達も神主でありました。しかし、世之主神社は古城地跡に建立された神社であって、世之主の二男が住んだ直城の館跡ではありません。

そこで私は思い出しました。本家の1700年代~ご先祖様の霊位に、3代続けて神主と書いてあったのです。この件はVol.68で書いておりますが、城跡に建立された世之主神社が実はこの時代から存在していて、当家のご先祖様達が神主をしていたのかもしれないと考察しておりましたが、これらのご先祖様達はこの火神殿内の神主だったのかもしれません。

琉球の御嶽に神主?
何か少しそぐわない感じがしますが、実はこの火神殿内の記録を発見したので、沖縄の今帰仁にいらっしゃる研究家の先生にお問い合わせをしたところ、1609年の薩摩侵攻以降に、奄美の島々は琉球文化との切り離しが薩摩の政策によって行われ、御嶽なども神社化していったという傾向があるとのことでした。
なるほど。沖永良部島の場合は、1609年の薩摩侵攻後は徳之島に代官所が出来て、しばらくは遠隔での統治でした。しかし1690年に島にも代官所が設置され、薩摩から代官が派遣され常駐するようになります。そうなれば、島の琉球文化の切り離しは更に強化されていったと推測されます。
当家の火神殿内はそれまでは琉球色が色濃く残った形式であったでしょうが、1690年以降は大和式を取り入れながら、神社化していったのではないかと思われます。そして時代は明治になり、新しい日本の幕開けでよりいっそう日本化が進み、新たに正式な神社として古城地跡に世之主神社を建立に至ったのではないかと推測されます。
火神殿内の祭祀が世之主神社の祭祀へと移行していったのではないでしょうか。 

そして、この火神殿内を司る人はノロです。ノロは琉球王家の血縁者であったはずです。当家の火神殿内のノロが、北山王時代の今帰仁からの流れであったのか?それとも、第一尚氏以降の流れでのノロであったのか?そこはまだ分かりませんが、いづれにしてもやはり王家と関わりがありそうです。
そしてもう1点、これからまた再考察をしていきたいのが、要家の古文書にある系図の「大あむしられ(地方ノロのことです)」であった「おめみつかね」の存在です。
夫は「直城の大屋 次郎かね」ですが、大屋子&ノロであったこの御夫婦が当家とどう繋がっているのかはまだ謎です。
直城にあった火神殿内の存在が、当家のご先祖様のことだけでなく、島や琉球の歴史解明の1つに繋がる可能性もありますので、引き続き調べてみようと思います。そして歴史研究家の先生の今後のご研究に期待したいと思います。



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