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先祖を探して

Vol.12 永良部のお墓のこといろいろ

沖永良部のお墓事情は本土のとはちょっと違って、特別な風習があります。

まず昭和40年代までは火葬ではなく土葬(そして明治以前は風葬)だったのです。ただお骨があるお墓よりも「ご先祖様はここにいるぞ!」という感覚が強いのでしょうか。もちろん現在は本土と同じように火葬場で火葬をしますが、ほんの半世紀近く前までは土葬。でもこの土葬がただの土葬ではなかったようです。

それぞれの家によって違ったようですが、5~7年ほどで土葬したご先祖様を掘り起こして、骨についていた不要なものを全部お酒で洗って、そして先祖代々の遺骨が納められている大きな骨壺に収めていたのだそうです。この洗骨の作業は女性のお仕事だったそうです

ご想像できると思いますが、5~7年程度では骨だけにはなっておりませんので、骨のまわりについてるものを全部そぎ落としてから洗骨。考えただけでもちょっと恐ろしいですよね。ずっとずっと大昔は、土葬でもなく風葬。洞穴や墓の隅の薮などの風葬場に、遺体を置いて朽ちるのを数年待ってから洗骨。ああ、これも今ではちょっと考えられないですね。

こちらは当家のチュラドゥールの納骨堂にある骨壺 昔の土葬してから洗骨して収めたものや、現在に入って火葬して収めたものなどが混ざって置いてあります。納骨堂の中は後ろが一段高くなっていて、偉い方の壺が置いてあるそうです。あ、火葬していないので納骨堂は悪臭が?と思ってしまいますが、お酒で洗っているので殺菌消毒されて全く匂いはしないそうです。


またお墓の敷地のスペースもちょっと広めです。ウファやチュラドゥールなどのような広さではありませんが、本土のお墓に比べると広めの間取りでゆったりスペース。親族で墓パーティーが出来そうなスペースがあります。そうです、このスペースで本当に宴会が行われるのです。

現代は本土と同じように墓参りだけっていう家も増えているようですが、集落によっては昔の風習のままのところがあるようです。

沖永良部島では、33回忌が終わると故人は天国へ昇って神様になると考えられているため、
年忌の中でも33回忌は特別な扱いだそうです。自宅で法要を済ませたあと、ジューテと呼ばれる唄者が三線を弾き唄いながら先頭を行き、あとに参列者が続いて全員で墓地に向かいます。

墓前の広場を舞台に見立てて舞い手による舞いが奉納されるのですが、これをやるのは夜なのです。想像しましょう。真っ暗な墓地が懐中電灯の明かりに浮かび上がり、舞い手と喪服の集団。朗々と響く三線の音。古代の空間が舞い戻ったような、幻想的というかなんとういうか・・・しかも古代は懐中電灯ではなくてロウソク松明を使ったと思うので。。。昔のお墓はだいたい寂しい場所にありますしね。もちろん今ではお昼の時間帯にやっているところもあるでしょうし、やらないところもあるそうです。

ちょうどこの法要のことがニュースになっていましたので、ご興味があれば読んでみてください。

http://www.nankainn.com/local/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%9B%9E%E5%BF%8C%E7%A5%AD%E3%80%81%E7%9B%9B%E5%A4%A7%E3%81%AB%E3%80%80%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%81%AB%E3%81%8E%E3%82%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E7%B7%B4%E3%82%8A

さらに墓前で宴会の動画も見つけました。


島の方々は先祖をとても大切に思っており、亡くなってもずっと家族の一員という感覚なのでしょうね。しかも亡くなって33年経てば神様になる。家を、家族をずっと守ってくれる神様なのだから、大切に大切にしているのでしょうね。「神が宿る島」と言われている由縁なのでしょう。



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