世之主の墓(ウファ)の納骨堂の右側上部の石積みが、2022年2月に崩落したことはVol.191で書きましたが、このお墓は以前にも自然災害に見舞われたようです。
沖永良部台風災害誌の1977(昭和52)年の記録に、そのことが書かれていました。
この時は台風による被害だったようで、納骨堂の木製の扉だと思うのですが、これが全壊、そして石垣の一部が損壊とあります。
このお墓、伝承によれば1400年代の建築、近年の調査によれば1600年代後期あたりの建築ということで、少なくとも400年以上は経過しているお墓です。
台風の通り道でもある島ですので、これまでの数百年間の間にも記録が無いだけで沢山の被害を受けてきたのではないかと推測されます。
その1つが、和泊町の老人クラブが発行した「むんがたい」という伝承をまとめた本に書かれていた崩落の話です。
文化・文政(1804~1830) の頃に、墓が一部崩落したというのです。どこの場所が崩落していたのかは書かれていないので詳しくは分かりませんが、納骨堂にあった遺骨をチュラドゥールの方にいったん移したとありますから、納骨堂かそれ付近が崩落したのではないかと思います。そして、100年程はチュラドゥールの納骨堂に収められていたようです。ウファに戻したのは1900年代前半だということになります。この頃にウファを修復したのでしょうね。
世之主の親子三人の厨子甕は「マンガン掛け庇つき厨子甕」というタイプのもので、1800年前期あたりから戦前の1940年代(昭和10年代)頃まで製造されたようです。墓の建築伝承の時期より厨子甕の時代が新しいのは、この崩落事件の時に新しい物に取り換えた可能性がありますね。時代も合いますので、その可能性は十分にあるなと思った次第です。世之主のお墓の調査をした時に、この話は伝わっていたのかな???
実際に、チュラドゥールの納骨堂の中は、世之主親子の三基の厨子甕を置いていた中央の場所は、現在も空間を空けたままにしてあります。なので、厨子甕を100年程チュラドゥールに置いていた話は事実だと思われます。
★世之主親子の厨子甕3基を置いていた中央の場所は、今でも空間にしてあります。
記録が無く伝承として伝わっているものも、1つ1つ確認していけば事実と判断できるものも多くありそうな気がします。
確認作業に時間はかかりますが、出来る範囲で追及していけれればいいなと思います。
それがご先祖様の解明に繋がっていくのかもしれません。