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先祖を探して

Vol.211 北山滅亡後の沖永良部島の統治は?(5)

沖永良部島に関係していたと思われる永良部阿応理屋恵。
当家のご先祖様の母親の家系に繋がるかもしれないと勢い喜んだ永良部阿応理屋恵。
しかし歴史の神様はそう簡単には微笑んではくれませんでした。

何が問題かといいますと、まず子供の数が圧倒的に違います、、、
琉球の具志頭王子朝盛夫妻の子供は長女・長男・次男の3人です。
いっぽうの沖永良部の要夫妻は男子4人・女子5人の合計9人。かなり違いすぎます。
しかも、具志頭王子朝盛は1610年に兄王ともども島津家久に伴われて江戸へむかい、駿府で徳川家康に謁したのち二週間ほどで病をえて同地で32歳の若さで亡くなっています。 
一方の要家の次郎金は1614年に薩摩から知行高10石をもらった記録が残されており、この時はご存命。
これはもう明らかに同一夫妻ではありませんね。せっかく見つけたと思っていたのにとても残念です。
ガックリ肩を落としてしまいましたが、ここで終わりではありませんでした。
お爺様の記録から新たなことを発見したのです。
やはりご先祖様は深く勉強するように、私に試練とヒントを与えているのでしょうかね。
新たな調査を頑張らなければ!

気を取り直して次回に進みます。



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コメント一覧

yononushi
@dankainogenki ブログを訪問頂きありがとうございます。
歴史の探求は興味が尽きません。調べれば調べるほどにはまっていきます。こうして読んでくださる方がいるのも励みになります。感謝です。
dankainogenki
歴史の探索も素晴らしい。
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