ご先祖様が生活していた沖永良部島。南国の温暖な気候と美しい海や自然。昔のままの美しい自然と歴史のある場所をそのまま残しておいてほしいと願う場所ですが、叔父や叔母の話を聞くと、昭和の初期から比べると随分と開発が進み、山は客土のために削り取られ、新しい道路がいくつもでき、すっかり様変わりしているといいます。
ご先祖様が住んでいた城跡付近は昔は山深くて、人が1人ほどしか通れない道ばかり。前から牛を連れた人が歩いてくると、行き交わすのが大変だったそうです。夜になると真っ暗になり一人では歩けないような静けさと怖さがあったそうです。
今では道路も整備され、城跡付近も山深いイメージはあまり感じられません。
そんな昔の様子を覗いてみたいと思っておりましたら、昭和21年に撮影された航空写真に出会いました。さすがにそれ以前の航空写真などはありませんでしたので、これが一番古い写真だと思います。昭和21年と言えば、当家のお爺様達家族もまだ島で生活をしていた頃です。そんな時代を空から撮影していたなんて、気持ちだけは少しタイムスリップした感じになりました。
国土地理院が所蔵
畑と山らしき場所に木々がこんもりとある以外は何が何だかよく分からない写真です。
下は現代の場所が分かるようにマーカーで印を入れました。
ピンクのラインは現在道路となっているところ。
赤い丸は城跡(現在の世之主神社)
赤いラインは参道
赤い神社の周りを囲っている緑のラインは、現在神社のある山。
下方にある緑の箇所は、ウファチジと呼ばれる世之主が最初に埋葬された場所。
黄色い箇所は、世之主の子孫が代々住んでいた場所。ここは明治期頃までは、もっと山になっていたようです。
下は現代の航空写真です。昭和21年の写真と同じ場所に同じ色のマーカーを入れています。
写真の角度と倍率が少し違いますが、何となく違いがお分かりになりますか?
昭和21年には神社の周りの木々は無かったようですね。その場所を畑として使っていたのか? 現代の写真の方は木々が生い茂っていますが、実は今は調査のために木々は伐採されており、昔の写真のようになっています。
神社右下のもう1つの緑のゾーン。ここは丘がこんもりとあり、ウファチジと呼ばれている場所です。明治期までは左側(西側)や下のほう(南側)に家があったのです。昔の写真のほうに、木々が無く空き地のように写っている場所がありますが、そこに親族たちの家があったのです。何か建物らしきものが見えるような気がしますが、はっきりとは分からないのが残念です。
しかし昭和21年に建物があったとしても、それはご先祖様の建物ではありません。明治31年の大型台風で倒壊してしまい、この辺りに住んでいた一族はみな別の場所に移動していますので、あったとすればそれ以降に新たに建った建物でしょう。
この場所もいまは木々が生えていたり、畑になっています。
昔の写真では畑などは山の斜面に段々になっているのが何となく分かりますね。下の現代の写真では整備されて平らになっているのが分かります。
そして、昭和21年の方が畑が多い気がします。もしかしたら付近に居住者がまだ多くて、畑で作物を作っている人が多かったのかもしれませんね。
この少しずつ開発があっていた昭和21年当時でもけっこう山深かったといいますから、明治以前はもっと山に囲まれた場所だったのでしょうね。
この地に城があったのは、高台で外敵が海から攻めてくるのが見える場所であり、山深いので自然が作る地形が防壁となって攻めにくい場所、島の民を見下ろせる場所でもあったからでしょう。規模は小さいですが、親元であった琉球の今帰仁城を思わせる城だったようです。城跡から見える景色は綺麗ですよ。
少しだけタイムスリップして76年前の沖永良部島和泊町内城の世之主神社付近でした。