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先祖を探して

Vol.384 葬儀について:②装具と島見しと埋葬

葬儀から埋葬に向けて準備する装具がありました。
いつのころからあった風習なのかは分かりませんが、装具の主なるものは3つあったようです。

①死体を納める棺
②棺の上を覆うヤージョウ(屋形)
③担い棒(俗にアホ木と言ったようです)

①は座位棺と寝棺があったようです。
②のヤージョウは、唐破風の屋蓋を有して、前面に扉で開閉できる入り口が設けられ、三方は板張りの家のような形のものです。
③は棺を担ぐための棒で、4人で担げるように皮付きの松丸太を組み合わせて作ったそうです。

ヤージョウ
知名町公民館の展示物より

棺に担い棒を取り付け、ヤージョウでそれを覆いお墓まで列をなして歩いたそうですが、位の高い人や素封家の葬儀の場合は馬を使い、この行列が盛大であったそうです。
盛大な葬儀を見せつけるために、わざわざ遠い場所に墓を作っていたという話です。

墓地の近くには、『シマミシド』という場所が設けられていました。これは現在でも存在します。この場所で棺を下ろし『島見し』をさせます。この『島』とは、生地や故郷という意味で、死者に最後に故郷を見せ名残を惜しませるという儀式です。
そしてここで左方に三度旋回して棺を下ろします。それは家路への方向を迷わせて、死霊が家に帰れないようにするという意味があるのだそうです。
明治以降に風葬から埋葬に変わり、埋められた棺の真上にヤージョウが置かれていました。


この写真は、お爺さまの妻であったおばあさまが亡くなったあとに行った儀式です。おばあさまは北九州で亡くなり、チュラドゥールに納骨するために遺骨を島に持ち帰り、墓の側にある島見しの場所で神主だったお爺さまが祝詞をあげているところです。もう遺骨になってしまったので、本来の島見しではありませんが、それに沿うようなスタイルでお別れの儀式をしたのだと思います。





当家のご先祖様が眠るチュラドゥールでは、大和式の墓石のすぐ後ろに棺を埋めていたようですが、洗骨までの間に死者が他に出た場合はどのようにしていたのか疑問がありました。
義母の話によれば、お墓の前の小道を挟んだ反対側に埋める場所があって、そこに埋めていたというのです。
地図で確認すると、そこは谷になった場所で、昔は畑として利用されていた場所です。その畑の一部が埋葬場所として使われていたのだと思います。

魂呼び(ムドゥントー)やヤージョウなど、いつの頃から始まった風習だったのかは分かりませんが、近年まで行われていたこと、そして現在もまだ行われている島の風習でした。


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