お墓の歴史の後は、葬儀について紹介します。
まずは魂(たま)呼びです。島ではムドゥントーやムドゥトオと言うようです。
島言葉で直訳すると「戻って来い」という意味。
人は亡くなると死の直後から肉体から魂が脱け出していくであろうということで、その時を見計らってその人の名前を呼び魂を呼び戻そうとする儀式です。本土にも同じような習俗があったようで、このような歌があったといいます。
逝きし人うつらうつらに思うとき
梁のあたりに 軋む音あり
この歌は「死人の魂は体から遊離して、しばらく家の中をうろついているが、やがて梁(破風)のあたりから脱け出していく」というように、昔の人が考えていた様子を歌ったものです。
沖永良部島では、人が息を引き取ろうとするときに、一人は屋根の上に上り、一人は軒下にいて、まず軒下の男性が「ムドゥトオ〇〇」(〇〇は亡くなる人の名前)と叫ぶと、その声がまだ切れないうちに屋根の上の男性が同じように
「ムドゥトオ〇〇」と交互に呼び続けたそうです。何回ぐらい呼び合っていたのかは伝わっていないようですが、大正末期頃までで途絶えたようで、現在では行われていないそうです。
また呼ぶ方向も地区によって違ったようで、例えば国頭地区は越山方面の黒赤坂(クルアーヒャ)という場所を魂が通り過ぎると呼び返すことができないとされており、その黒赤坂に向かって叫んでいたそうです。
海浜地帯にある喜美留や畦布地区の場合は、海の方に向かって叫んでいたという話もあるそうです。
その他多くの集落は、お墓に向かって叫んでいたようです。
魂呼びをしても戻らなかった人は葬儀の準備に入るのですが、通夜の時には、女子は死者と枕を並べて添い寝をし、死者を一人残しておくことは決してしなかったそうです。
そして、葬儀には泣き女が登場します。
日本では今でこそ泣き女の習俗はありませんが、古代から日本全土で存在し、やがて時代とともに廃れていった習慣ですが、沖永良部島では近代までこの習俗が残っていたそうです。
泣き女は、遺族の代わりに大きな声を上げて泣くことで故人を悼み、死者にとっては馳走となる涙を流して報酬を受け取っていました。その泣き方で現金ではなく米や味噌などの報酬を受け取ったといいます。
泣き女は、遺族の代わりに大きな声を上げて泣くことで故人を悼み、死者にとっては馳走となる涙を流して報酬を受け取っていました。その泣き方で現金ではなく米や味噌などの報酬を受け取ったといいます。
同時に、取り憑いた悪霊を取り除く悪霊払いや、死者の魂を呼び戻す魂呼ばいの性質も併せ持っていたそうですが、島では職業としての泣き女ではなく、近親近隣の女性が泣き女になったそうです。故人の生前のことなどを口にしながら、今にも悶絶するかと思われるような声をあげて哀泣したそうです。
島の本家の身内が亡くなったときに、葬儀で泣き女がいたことを現当主の本家の叔父は覚えておりました。5~60年ほど前までは行われていた泣き女の習俗です。